シンガポール通信−リー・クアンユーの死去

久しぶりにシンガポールに来ている。3月中旬の京都国立博物館でのプロジェクションマッピングの後の骨休めが1つの目的。プロジェクションマッピングのブロジェクションの部分を担当してくれたシンガポールのヘキサゴンという会社と支払いに関する最終的な話し合いをするのがもう一つの目的である。それからもう1つはシンガポールもすでに8年目になり、勤務していたシンガポール国立大学(NUS)も昨年末で定年になったので、さてそろそろシンガポールを引き払う時期かどうかを検討するのがさらにもう1つの目的である。
シンガポールに来てみると、今週の月曜に死去したリー・クアンユー(Lee Kuan Yaw)の追悼で国が一色に染まっている。テレビは1日中リー・クアンユーの生い立ち・業績を流し続け、もちろんバラエティー番組などの娯楽関係の番組は一切放送を自粛している。
街を歩いている分には普段のシンガポールの日常とほとんど変わっていないように見えるが、リー・クアンユーの遺体が安置されている国会議事堂には彼に最後の別れをしようとする市民が徹夜で長蛇の列をなし、待ち時間が8時間〜10時間と異常な長時間になっている。日本で言うと昭和天皇が亡くなった時の状況に似ているといえるだろう。



リー・クアンユーに最後の別れをするために並んでいる多くの市民。すでに夜10時になろうとしているが、まだ待ち時間は8時間以上との事である。徹夜で並ぶのであろう。



国会議事堂と川をはさんで向かいにあるフラトンホテルの壁面にはリー・クアンユーの写真が大きく投影されている。このプロジェクションは私のビジネスパートナーのヘキサゴンが実施している。なんでも朝9時に政府から電話があり、プロジェクションを要請され急遽準備したものだという。これもまたいい収入になるのではとヘキサゴンの社長に冗談を言ったら、リー・クアンユー国葬に向けて多くの企業が無料での奉仕を要請されており、このプロジェクションも無料で実施しているとの事。



銀行ATMにもリー・クアンユーの写真が。

国葬は明日3月29日(日曜)に行われる。昭和天皇国葬が金曜に行われ当日は休日になった事と比較すると、すでに政治の表舞台から消えているとはいえ、シンガポール建国の父として日本では天皇に相当する尊敬を国民から受けて来たリー・クアンユー国葬が、平日を休日にして行われるのではなく日曜に行われるのは、興味深い。知り合いの外国人の意見を聞くと「シンガポール建国の父であるリー・クアンユー国葬を休日にするのではなく日曜にするというのはいかにも経済最優先のシンガポールらしい」という意見を幾つか耳にした。

リー・クアンユーは1923年生まれ。今年は92歳であり、奇しくもシンガポール建国50週年を迎えた年に死去したというのは彼とシンガポールの強い結びつきを示しているのかもしれない。当時のシンガポールは英国の統治下にあり、その次に太平洋戦争による日本軍による占領と統治を経験した。日本軍によるシンガポールの統治はかなり過酷なものであり、リー・クアンユーは、そして当時を知る多くのシンガポール人は日本軍の統治に対しては極めて悪い印象を持っていた。戦後の長い期間を経て経済成長を遂げたシンガポールと日本の関係は良好なものとなり、若い世代のシンガポール人の大半は日本に対する好印象を持っているが、古い世代が日本に対して持っている悪印象・憎悪は私たち日本人も頭に入れておくべきであろう。

太平洋戦争の終了に伴う日本による統治が終った後は、リー・クアンユーはまずシンガポールが英国から独立する事に力を注いだ。シンガポールのような小さい街が独立して存続する事が困難である事を知っていたリー・クアンユーは、シンガポールをマレーシアの一部分として独立するという目的のために行動した。

この行動は一時は成功し1963年にシンガポールはマレーシアの一部となる。しかしながら、シンガポールが中華系の人達が多い町であり、マレーシアの民族構成と大きく異なること、またすでにシンガポールが貿易の拠点として繁栄しつつありマレーシアの他の区域との経済格差が大きい事などの問題点を抱えていた。そのためマレーシア政府がシンガポールをマレーシアの一部として保持する事に難色を示し始め、ついに1965年8月9日にシンガポールはマレーシアからの分離独立を宣言せざるを得なくなる。

そして50年前のこの日こそがシンガポールの建国の日であり、それ以降シンガポールのような小国を経済的に自立した国として存続されるための苦難の道のりをリー・クアンユーシンガポール市民の先頭になって引っ張って来たのである。これこそがリー・クアンユーシンガポール建国の父と言われるゆえんである。

そして現在シンガポールはアジアでは有数の経済的に発展した国となっている。今年は建国50週年という事で、それを祝う多くの行事が予定されている。それらに先立ってリー・クアンユーが死去し、リー・クアンユー国葬がある意味でシンガポール建国50週年のイベントの始めのものになるというのも、不思議な巡り合わせということもできよう。