シンガポール通信−イスラム過激派のテロにどう立ち向かうべきか

フランスでの週刊誌本社襲撃事件に端を発した一連のイスラム過激派によるテロの話題が続くが、重要なテーマなので引き続き考えてみたい。

イスラム過激派の一つであるイスラム国に拉致された2名の日本人のうち1名が殺害されたとされ、さらに残る1名についてもヨルダンにテロを実行した罪で死刑囚として収監中の女性との交換という極めて難しい条件を突きつけられているので予断は許さない。現時点で進行中の事件であり、拉致されている日本人がどうなるかという問題に関しては予測は困難である。
しかし同時にこのような状況であるからこそ、単に状況が変わるのに応じて新しい状況への対処に追われるだけではなく、なぜこのようなテロ事件が起こるのか、それを防ぐにはどうすれば良いのか、そして日本人である私たちはどう対処すれば良いのかと言った本質的な問題点を考えておく事が必要であろう。

ここまで何度か井筒俊彦著の「イスラーム文化」を下敷きにしながらなぜイスラム国に代表されるイスラム過激派が無差別テロをおこすのかという問題を考えて来た。岩波文庫一冊を読んだだけで世界を揺るがしているイスラム過激派のテロを論じようというのは無茶な挑戦とも言えるが、この著作はイスラム教・イスラム文化の本質に関して簡潔に手際よく説明している良書であり、この本を読むことによって現在の状況が私にとってある程度見えて来た事は確かである。

以下なぜテロが起きるか、それに対してどう対処すべきかに関する私の意見をまとめてみよう。

1.「このようなテロが起こる根底には欧米文化とイスラム文化の衝突、もしくはそれらの背後にあるキリスト教的価値観とイスラム教的価値観の衝突がある。」

何度も書いたが、イスラム教の根本的な考え方は神が絶対の力を持っており、全てを創造すると共に現在も常に再創造しつつあるというものである。この考え方によれば全ては神によって定められているのであり、科学技術の根本となる世界が因果関係で結ばれており物事の原因を探ることによって世界のルールを解明しようとする考え方と真っ向から対立する。さらにもう一つのイスラム教の根本的な考え方である政教一致とこの考え方を結びつけると、欧米の科学技術を取り入れる事は悪になるのである。ここに、イスラム教の教えを絶対とし欧米の科学技術さらにはその背後にある欧米文化を憎むイスラム過激派が生まれる源泉がある。

2.「欧米文化とイスラム文化の衝突の勝敗は明らかであって、欧米文化がイスラム文化を破壊しつつある。ここに伝統的なイスラム文化を守ろうとするイスラム原理主義者のいらだちがあり、それがテロという過激な行為に結びつく。」

世界中で見られる現象であるが、欧米の科学技術が「グローバリゼーション」という名の下に世界を席巻しつつある。便利さ、快適さ、効率化を提供してくれる欧米の科学技術に抵抗する事は困難である。日本を含めてアジアでもアフリカでもそしてイスラム諸国でも最新の欧米の科学技術が怒濤のように侵入しつつあるといえる。もちろんアジア文化と欧米文化も相容れない部分は多いのであるが、イスラム教ほど厳しく戒律を守る事を求められない日本などのアジア諸国では欧米文化と自らの文化の両立もしくはその融合を図る事が可能である。

ところが政教一致の原則の元に日常生活においても厳しく戒律を守る事を求められるイスラム教においては欧米の科学技術を無批判に取り入れる事はイスラム教の内部破壊につながるという大きな問題を持つ。

ここにイスラム国などの過激派が欧米文化の上に成り立っている欧米諸国を敵と見なしテロ行為を働く理由がある。そして同時にあまり深く考える事のない一般のイスラム教徒は無批判に欧米の科学技術を取り入れているという事実も過激派にとっては極めて許されない事と写るのではあるまいか。本来同胞でありイスラム教の戒律を厳しく守るべき人々がその戒律と反する欧米文化を無批判に日常生活に取り入れている現実。これこそが過激派が欧米諸国でテロを起こすのと同時に同胞であるイスラム教徒をもテロの対象としている理由があるのである。

3.「テロによってイスラム教、イスラム文化が生き延びる事は出来ない。イスラム教内部の基本的な価値基準の変化が必要である。」

それではどうすれば良いのだろう。極めて厳しい言い方であるが、結局の所厳しい戒律とそれを厳守する事を求めるイスラム教自体が変わらない限りテロという行為は無くならないのではないだろうか。次にそれを考えてみよう。

(続く)