シンガポール通信−イスラム過激派によるテロは防げるか:シーア派とスンニ派2

現在イスラム国が拉致した日本人の人質2人の解放と引き換えに身代金2億ドル(約240億円)を要求ており、その要求に日本政府が応じない場合は人質を殺害するという脅しをかけて来ている。そしてそれにどのように対応するかに対しては、日本国内で大きな議論が生じている。

しかし新聞やテレビを見ている限りでは、それに対する対応策に関しては明快な意見が見られないようである。最も単純な主張は「いかなる理由があろうが人を殺すのはよくないから解放すべきである」というものである。その延長は「人質2名はイスラム国とは何の関係もないのだから解放すべきである」という意見であろう。一方で欧米諸国の日本政府に対する意見としては「ここでイスラム国の要求を飲む事は彼等によるテロに屈することになるので、毅然とした態度をとり要求を認めるべきではない」というものである。

日本政府が取っている態度はその中間的なものであり、イスラム国の要求には直接答える事はせず、一方でイスラム国との関係を持つと思われる政府・組織・人物を通して人質の解放を交渉するというものである。欧米諸国からするとなんともなまっちょろい対応策にみえるかもしれない。このことはまた項を改めて論じたい。

ここで論じたいのは、何度か書いてきたイスラム教内部のシーア派スンニ派の問題である。テレビや新聞を見ていても今回の事件とシーア派スンニ派との関係を論じた記事・論調は私の知る限りまったくない。しかし、今回の事件はイスラム文明と西欧文明もしくはイスラム教とキリスト教の衝突であり、それにどう対処するかは単に表面的な出来事の解釈では解決策にならない事は明らかである。イスラム教の根本的な教義の理解、そして根本的な教義の理解の違いによって生じているシーア派スンニ派に関しても理解する事が重要であり必要であると私は考えている。

イスラム教徒が内部ではシーア派スンニ派と言う大きな二つの派に別れている事、かつテロという過激な手段に走りやすいのはスンニ派である事を前回述べた。そしてそれは、スンニ派の教えがイスラム教の教祖ムハンマドの教えを日々の生活において守る事に重点をおいている事から出発している事を述べた。

スンニ派にとっては、ムハンマドが教えるイスラム教の教義を守る事こそがイスラム教を信奉することになる。かつイスラム教の教義の根底には、神がすべてを作り出しかつ現在も物事のすべてを神が決めているという考え方がある。神がすべてを決めているとすると、全ての物事は神によって定められているのであって、そこにそれ以外の原因を求めようとする事が無意味になる。

そのためこのような考え方は、原因と結果の間に関係があるとする因果律を否定することになる。そしてそれは因果律を基本的な考え方とする科学技術の考え方と相反する考え方になるのである。したがってイスラム教のよって立つ基本的な原理に従えば、欧米の科学技術を取り入れる事はムハンマドの教えに背くことになる。

ところが欧米の科学技術はそれが提供する便利さと効率性の故に、このような基本的なムハンマドの教えに反してイスラム世界に流入しつつあると考えられる。イスラム教徒の大半を占める一般の人々は、ムハンマドの教えの基本的な考え方を理解した上でそれを信じているというよりは、ある意味で盲目的にムハンマドの教えに従っている訳であろうから、上記のような欧米の科学技術とイスラム教の基本的な教義の間に相克があるという事は理解していないだろう。

そのためイスラム教を信じる一般の人々の多くは欧米の科学技術をそれが持つ利便性と効率性の故に、深く考える事無く日々の生活において欧米の科学技術を取り入れているだろう。そしてここにこそ、ムハンマドの教えを守る事を絶対的信条とするスンニ派の中でさらにそれを極端に追い求める原理主義と呼ばれる一派がそのような流れに逆らおうとしている理由がある。そのような流れに逆らうということは具体的には、過激な一派が極端なテロ活動という行為に走ることにつながるのではないだろうか。

さらにイスラム教の多数派であるスンニ派にとっては、スンニ派を構成している人々の大多数が一般の人々であるが故に、上記のようなムハンマドの教えを守る事に絶対的な価値をおくという行動を強制する事は困難であろう。大多数の人は表面的にムハンマドの教えを具現化したイスラム法に従って毎日を送りつつも、同時に欧米の科学技術の成果を毎日の生活に無批判に取り入れているであろう。

ここにこそ、ムハンマドの教えに絶対的価値をおき自らが純粋のイスラム教徒であると自任している集団にとって許しがたい点があるのであろう。これがこのブログでも触れたように、過激派が同胞であるイスラム教徒をもテロの対象とする最大の理由なのではあるまいか。

さてこのように考えて来ると、欧米でテロ撲滅の気運が盛り上がっているのに、肝心のイスラム諸国でそのような機運があまり見られないのかを説明することが容易になる。先に述べたように、イスラム諸国の大多数の一般の人々はスンニ派に属していると考えられる。それに対してより物事を深く考える立場にある知識人や政治家には、シーア派に属している人達が多く存在すると考えられる。

シーア派の人達は自分たちが少数派であるが故に、あまり多数派であるスンニ派に直接的な反対行動をとりたくないというのが、基本的な考え方として存在すると考えていいだろう。ここに、欧米においてアルカイダイスラム国に対してこれらをテロ集団と決めつけそれを撲滅するという主張が主流になりつつある時に、肝心のイスラム諸国の首脳陣がそのような動きに同調しないように見える原因があるのではあるまいか。

このことがアルカイダイスラム国によるテロ活動を撲滅しようとする欧米諸国の動きがイスラム諸国を巻き込んだ世界の動きの主流になりにくい原因があるのではあるまいか。