シンガポール通信−イスラム国が拘束日本人を殺害? 日本人も今後は無差別テロの対象になる?

イスラム国に拘束されていた日本人2名のうち1名が殺害されたらしいという情報がネットに載っている。そして残された1名に関し、イスラム国がその解放を身代金ではなくて、イスラム国に関連し現在死刑囚として収監されている女性テロリストの解放を要求しているという。

日本人1名の殺害が事実であれば大変残念であるが、このことはイスラム国が日本を欧米諸国と同列の国と考えているという事を示すことになる。そしてそれはまた日本人が、そして日本が今後無差別テロの対象となりうる事を示している。日本は今後イスラム国やアルカイダにどう対応すべきかを考えると同時に、私たち日本人も、海外の旅行先やさらには日本国内においても今後は無差別テロに会う可能性があることを、常に頭に入れておく必要がある事を示している。

日本人の大半はこのような危険性を現時点では意識していないのではあるまいか。しかしながらこれは実際に高い確率で起こりうる危険である。このことを考えてみよう。

朝から日本のテレビ番組の多くもこの事件を取り上げているが、見ていて大変残念なのは、拘束された日本人がなぜまたどのようにしてイスラム国に入り拘束されたのか、そしてまた残された1名の日本人と引き換えにイスラム国が解放を要求している女性テロリストがどのような人物なのかなどの周辺情報の解説に多くの時間を割いているだけであり、本質的な議論がなされていない事である。

なぜイスラム国が2名の日本人を拘束したのか、そしてまた日本を含め多くの国々からの非難をあび今後より厳しい敵対行為を受けることになると考えられる1名の日本人人質の殺害という行為に及んだのか、そしてまた日本や日本人は今後どう対応すべきなのかという本質的な議論がほとんどなされていないのは大変残念である。

現在NHKが菅官房長官とマスコミとの記者会見の様子を報道しているが、マスコミ側の質問が他の多くのテレビ番組の内容と同様に、いずれも末梢的な質問だけであって、上記のような本質的な問題に踏み込んだ質問がないのはどうしたことだろうか。むしろ政府側の回答の方が明快に聞こえて来る。

官房長官は「日本政府は人命再優先の立場を取り多くのチャンネルを使ってイスラム国との交渉を行っている」という回答を繰り返すと共に、同時に「日本政府はテロに屈する事無く欧米諸国と連携してテロ行為に対処して行く」というメッセージを発している。

イスラム国との交渉は、そのようなルートを持たない日本にとって極めて困難であり、現実に行われているとは考えがたい。とするならば前半のメッセージはある種の言い訳であって、後半の「テロに屈しないで欧米諸国と同調してテロに対処して行く」というメッセージの方が日本政府が発したいメッセージと理解することができる。

これはこれまで態度をあいまいにしていた日本政府が、明確にイスラム国やアルカイダをテロ組織と決めつけ、欧米諸国と歩調を合わせてテロ組織の壊滅に向けた方策を取るということを宣言したと取ることができる。曖昧な態度に終始していた日本政府が大きな決断をした事を示していると私は理解している。

しかしそれは同時に先に述べたように、イスラム国やアルカイダが日本を欧米諸国と同列のイスラム教の敵であると決めつける事につながる。私たちは彼等の無差別な殺人行為をテロと呼んでいるが、イスラム原理主義の立場からは日本人も含め欧米人はイスラム教の教えに反する異教徒であり殺すべき相手なのである。私たちがテロリストの無差別な殺人と呼んでいる行為は、イスラム国からすると殺すべき敵に対する「聖戦」なのである。またテロの際に頻繁に用いられる「自爆」という行為は、自らを犠牲にして敵を倒す讃えられるべき行為であり、自爆により自らを犠牲にしたテロリストは殉教者として来世では天国に召されると信じられている訳である。

日本政府の「日本は欧米の立場に立ちイスラム国などのテロ組織とは徹底して戦う」という宣言は、欧米諸国からすると好ましいメッセージに見え「ついに日本も立場を明確にして我々の側に立つ事を決めたか」ととらえられるだろう。しかしながらイスラム国からすると「日本も欧米諸国に与する事を宣言したのであれば今後は我々の聖戦の対象である」ということになるだろう。

これまで大多数の日本人は、イスラム国やアルカイダによるテロのニュースを対岸の火事のような気持ちで見たり読んだりしていたのではないだろうか。しかしそれは今後は我が身に起こりうるという事を十分に自覚する必要があるだろう。