シンガポール通信−エスカレーターの片側空けのルールは変わるだろうか2

エレベーターの乗り方でもう一つ面白いのは、左側に立ち右側を歩く人のために空ける方式(「左立ち」もしくは「右空け」)と右側に立ち左側を歩く人のために空ける方式(「左立ち」もしくは「右空け」)が国により、地域により比較的明確に分かれている点であると日本経済新聞の記事は書いている。

世界的に見ると、米国と共に英国、フランス、ドイツなど欧州の多くの国が右立ちだという。またアジアでも中国、韓国など多くの国が右立ちだという。つまり世界的に見ると右立ちが主流なのである。これに対して左立ちが普及している国は、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドなど少数の国に止まっているという。

これを見て面白いのは、右立ちの国がほぼ車の右側通行を取り入れている国に対応しており、左立ちの国が車の左側通行を取り入れている国に対応していると記事には書かれていることである。実は私自身はこれまで海外へ出かける際にあまり海外の国でのエスカレーターの左立ち、右立ちという事を意識した事がない。欧米の国々を訪れた際の私の経験からしても左立ちもしくは右立ちが明確に守られている場面というのはほとんど記憶にない。

その理由の一つはエスカレーターの設置台数が欧米の国々では日本に比較すると少ないことではないだろうか。そのためあまりエスカレーターに乗る機会がないので、左立ち・右立ちを意識する機会がないのではないかというのが一つの理由である。エスカレーターが設置される頻度が大きいのは何と言っても空港であろう。そして空港では異なる文化の国の人々が混在しているため、エスカレーターの乗り方も左立ち・右立ちが混在しているため、明確な差がでないのではないだろうか。

いやそれよりも空港では大きな荷物を抱えている場合が多いので、大半の人は立ち止まって乗っており、エスカレーターで歩くという頻度が少ないから左立ち・右立ちの明確な差でないのではあるまいか。

ただ私のシンガポールでの経験からすると、確かにシンガポールでは左立ちが結構厳密に守られていると思う。別にルールとして強制されている訳ではないが、駅などのエレベーターで見ていると、人々はかなり厳密にこのルールに従っているようである。

日本では朝晩のラッシュ時のエスカレーターでは、例えば東京などの左立ちをマナーとしている地域ではエスカレーターの乗り場で2つの列が出来る。そして左側の立ち止まって乗ろうとする列が長く続き、右側の歩こうとする人達の列は比較的短いという光景が毎日のように生じるが、これと全く同じ光景がシンガポールでは見られる。これを見ていると日本とシンガポールは同じ文化を共有するアジアの国だなというある種の感慨を感じる。

さてこの左立ち・右立ちと左側通行・右側通行の対応は大変興味深いしなるほどなと思わせるのであるが、一つ例外がある。左側通行の本家本元の英国が右側通行だというのである。大体シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドなどの国々はいわゆる大英帝国を形成していた国々であり、英国文化が色濃く入り込んでいる国々である。車の左側通行も英国の文化がシンガポール、オーストラリア、ニュージーランドなどに導入されたものである。

ところが本家本元の英国におけるエスカレーターが右立ちだといわれると首を傾げざるを得ない。本当にそうだろうか。これはぜひとも次回英国に行く際に確かめなければならないと思っている。

さてそれと共に興味深いのは日本国内で地域によって左立ち、右立ちがかなり明確に分かれている事である。記事によると大阪・神戸などの近畿圏においては右立ちが主流であり、それ以外の地域、東京、名古屋、札幌、福岡などが左立ちが主流であるという。これは誰しもがうなずく現象ではあるまいか。新幹線で大阪・東京間を往復するこの文化の違いに出会えて面白い。東京・大阪間という程度の600キロ程度の距離において左立ち・右立ちという大きな文化の差に出会えるのである。私は東京と大阪の文化の差は日本文化と欧米文化の差に匹敵する大きな差だと思っているが、その典型的な例がここに見られる。

良く言われる事であるが、京都がその左立ち・右立ちの中間点らしい。確かに見ていると左立ちと右立ちが場所によって区別されていたり混在している。新幹線の京都駅のエスカレーターでは左立ちが主流である。また地下鉄も京都駅のエスカレーターは左立ちが基本、四条烏丸でもまだ左立ちが主流、それ以北になると右立ちを多く見かけるようである。また京都市内のデパートのエスカレーターは基本的には右立ちである。また左立ち・右立ちは時間帯によっても異なり、通勤時間帯には場所によらず左立ちが主流、昼間の閑散期には右立ちが主流という複雑なシステムになっている。

前の人がどちら側に立っているかによって後ろの人がそれに従うというのも京都でよく見られる光景である。これで困るのは前に誰もいない場合であって、この場合に左立ちか右立ちかは場所と時間帯によって判断する必要がある。京都人独特の感覚が求められる訳である。