シンガポール通信−エスカレーターの片側空けのルールは変わるだろうか

アルカイダイスラム国によるテロという重い話題が続いたので、少し軽い話題を。1月9日の日本経済新聞に「片側空け→歩行禁止 マナー変わる? エスカレーター」と題して、エスカレーターの片側空けのマナーに関する記事が掲載されている。

この記事では現在では世界各地で一般的となっている、エスカレーターに乗る際に片側を空けて急ぐ人を通す空間を作るというマナーがいつどのようにして始まったのか、そしてまた片側空けに関して左空け(右立ち)と右空け(左立ち)が国により地域により異なるのはなぜかなど、なかなか興味深い話が書かれている。

そして同時にこの記事には、エスカレーターで歩くのは危険なのでこのような行為を止めるため、最近日本エレベーター協会日本民営鉄道協会などが「エレベーターでは歩かずに止まって乗るように」をよびかける共同ポスターを制作したという記述がある。

この記事を読んでいてまず引っかかったのはこの部分である。なぜ今頃このようなポスターを制作するのだろうか。日本エレベーター協会の言い分は「本来エスカレーターは立ち止まって乗るように設計されている」ということらしい。

しかしながら、発明者や設計者が想定していた使い方とは別の使い方をされ、それが一般化したものはいくらでもある。有名な例では、例えば電話は当初はニュースなどの情報を局から一般の人に伝えるという使い方をするために作られた。つまりラジオのようなマスメディアとして当初は提供されたのである。それが時代と共に個人間の通信手段に変わっていき広く普及したのである。(現在でも個人間の通信が主たる使い方であるが、同時にFacebookやLINEと言ったアプリと結びつく事により、コミュニティ内部の通信手段として使われる機会も多くなった。)

片側空けという使い方がされているのは、それが便利であり現代社会の要求に応えられるからである。それを当初そのような使い方は想定していなかったというだけの理由で禁止しようと言うのは、システムの提供側の横暴である。

日本エレベーター協会などのポスターの作成側の論理は、「立ち止まる人と歩く人の二重構造にすると、歩く人が立ち止まっている人の荷物や体に接触し転落事故などを引き起こす可能性がある」ということらしい。しかしこれも可能性があるという想像上のものに止まっているのなら意味がない。本当に片側立ちが危険なのならば、片側立ちにしていたという理由により生じた転落事故の件数その内容などのデータを示すべきである。そして統計学上、確かに片側立ちの方が事故が多いという事を示した上で、エスカレーター上では歩行禁止というマナーを取り入れる事を訴えるべきである。

さてこれはおいておくとしても、興味深いのはいつごろからこの片側立ちというマナーが普及したかという事である。新聞記事によれば、国際的には英国で第2次世界大戦中に混雑緩和のためにこのマナーが考案され徐々に広がったということである。また国内では1967年に阪急梅田駅が移転し長いエスカレーターを導入した際に急ぐ人のために片側明けを呼びかけたのが最初でその後徐々に普及したのだという。そして1980〜90年代に全国的に普及が進んだのだという。

本当だろうか。私の国内や海外での経験をベースにするとそれほど古くからあったマナーではなくて比較的新しいマナーであるように思うがいかがであろうか。私の記憶では1980年代にはそのようなマナーは国内・国外を問わず全くお目にかかった事がないと思う。私が海外出張を始めるようになったのは1980年代で、毎年1回程度のペースで海外出張をしていたが、全くそのような場面に出会った記憶はない。

1990年代になると年数回海外出張するようになったが、それでも海外でそのようなマナーに出会った事は記憶にない。私の記憶ではこのようなマナーに出会うようになりそれが普及して行ったのは2000年以降、つまり最近10年〜15年程度と極めて新しいマナーのように思っているのであるがどうであろうか。特に日本ではここ10年以内に急速に普及したように感じられる。

さてそれではそのようなマナーはなぜ普及して行ったのか。これに関してこの記事では、深い地下鉄駅の開業に伴い長いエスカレーターが普及してそれが片側立ちのマナー普及を助けたという記述がある。確かにそのような面はあるだろう。しかしそれ以上にエスカレーターにおける片側立ちの普及に寄与したのは、空港などで良く見かける「動く歩道」の普及ではないかと私は思う。

空港ではパスポートコントロールを通った後ゲートに辿り着くまで長い距離を歩かされる事が多い。その際の歩く努力を軽減するため大半の空港では動く歩道が導入されている。この動く歩道は動く速度が遅い事(歩く速度より遅いのが通常である)や幅が結構あり比較的容易に追い越しができる事から、かなり古くから急いでいる旅行者がこの上を歩くという習慣が始まっていたと記憶している。しかも段差がないので転落事故のようなものはおこらない。

私の見る所では、この空港における動く歩道上で歩くことにより、この設備を利用しない場合に比較して結構離れたゲートに手早く到着するという便利性を人々が覚えた事が手始めではないだろうか。そしてそれが徐々にエスカレーター上でも立ち止まらずに歩くという習慣に繋がったのではあるまいか。