シンガポール通信−フランスのテロ事件の真の原因は何だろうか

フランス、パリの週刊誌本社を、アルカイダもしくはイスラム国の関係のテロ集団が7日に襲撃し12人が犠牲になったという事件が報じられている。さらに事はそれで収まらず、逃走した襲撃犯の男2名が9日パリ近郊の街で人質を取って立てこもるという事件に発展した。

さらにこれと関係して8日にパリ南部で別の銃撃事件があり女性警官が死亡するという事態が生じた。さらにこの犯人が9日パリ東部の商店に人質を取って立てこもるという事件に発展した。

9日にフランスの治安当局がこの二カ所に突入し犯人3人を射殺して、一応事件は終結したとの事である。(テレビでは女性の犯人が一人まだ逃走中であるというニュースも報じている。)しかしこの際にも人質が犠牲となり、合計で17人の犠牲者が出るという大きなテロ事件に発展した。

この事件は、犯人がアルカイダイスラム国との関係を示唆していた事から、アルカイダイスラム国の過激組織によるテロ事件として、理解し報じられているようである。これらの事件に関しては、フランスのオランド大統領も米国のオバマ大統領も「テロは許されるべきではない、皆で団結してテロに立ち向かおう」という談話を発表している。しかし単に「テロは許されない、したがってテロに対しては毅然として対処する」という何度も聞いたようなコメントの繰り返しだけでこの問題が解決されるのだろうか。

特にオランド大統領はテレビ演説で、「今回の事件と宗教を結びつけて考えるべきではない」と述べている。これはフランス始め欧米に多く住んでいるイスラム教徒に、今回の事件の結果として非難の目が向けられる事を避けようとしたためのコメントであると考えられるが、本当に今回のテロは宗教と関係ないのだろうか。

今回の事件は、襲撃を受けたフランスの週刊誌がイスラム教の教祖ムハンマドを風刺する記事を掲載した事がきっかけといわれている。欧米や日本などのいわゆる先進国と言われる国々では、高い地位にいる人達に対する風刺は言論の自由のあかしとして認められている。事実、米国のオバマ大統領、フランスのオランド大統領、また日本の安倍首相などもしばしば新聞、テレビなどで風刺の対象とされている。

したがって私たちは、イスラム教の教祖が少しくらい風刺の対象とされたからといって、なぜテロに及ぶのだろうという感覚を持ちやすい。しかし政治のトップと宗教のトップでは意味が異なる。中東の大多数の人々の精神の拠り所であるイスラム教の教祖に対する風刺は、イスラム教の人々の精神に大きなキズを与え怒りを引き起こす事は理解すべきである。

日本でも首相を風刺の対象としても何の問題も起こらないであろうが、天皇を風刺の対象とすると多分国民から大きな非難が起こるであろう。天皇はいまだに日本人の精神の一部となっているからである。キリスト教でもキリストを風刺の対象とする事は、イスラム教の場合ほどではないにせよ大きな非難をうけるであろう。

神の子とされるキリストを、映画や小説の中で主人公あるいはそれに類するような取り扱いをすることは、実は数十年まではタブーであった。キリストの顔を映画で出す事もタブー視されていた。私が思い出す映画として1956年のアメリカ映画「ベン・ハー」がある。この映画では十字架を背負って刑場に向かうキリストが出て来るが、ごく短いショットでしかも顔が写らないように背後から撮影するという手法をとっていた。それでもなおかつこのシーンを見たまだ少年であった私は「おいおい神様を映画に出していいのか」という感想を持ったのを良く覚えている。今からすると考えられない事ではあるが。

人間臭いキリストを主人公にしたミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、今でこそミュージカルの定番のようにいわれているが、発表された1971年には多くのキリスト教徒からは「神に対する冒涜である」として大きな非難をあびたものである。
ましてやイスラム諸国においては、宗教に対する考え方はまだ1950年代〜1970年代の欧米や日本ほどには「近代化」されていないのである。その意味では、言論の自由というのは大切ではあるにせよ、イスラム諸国の人々がイスラム教の教祖ムハンマドに対して持っている神聖な気持ちに対する配慮は必要だったのではあるまいか。

(続く)