シンガポール通信−論文剽窃が現実問題に!!

年の終わりにあたり論文剽窃の話題というのは不適切かもしれないが、重要な話題なのであえて書く事にしよう。

前回も書いたように、コピペ文化が特に若者の間では当たり前のように広がって来たこともあり、論文が他人の論文の一部などを盗用していないかをチェックすることの必要性が、最近研究分野でも注目されるようになって来た。

日本の大学などでは、やっと少しずつこの問題が認識されつつあるという状態であるが、すでに欧米ではあたりまえの事柄になっているようである。私の知っている海外の大学の先生に聞いてみても、自分が書いた論文を投稿する前や自分が指導している博士課程の学生に対して博士論文提出時に、剽窃の有無を専用のソフトを使ってチェックするのが常識になりつつあるとの事である。

論文の剽窃のチェックで海外でよく使われているのはiThenticateというソフトである。個人が購入するのは高価であるため、大学などの組織単位で導入して内部の人間が自由に使うという形態をとっている。日本の大学でも徐々にiThenticateを導入する大学が増えて来ているようである。小保方事件のこともあり、2014年3月の毎日新聞の記事ですでに14大学・研究機関が導入したもしくは予定との事であるから、現時点ではもっと多くの大学・研究機関が導入しているだろう。
さてとはいいながら、私自身も小保方事件を中心として剽窃(英語ではplagiarismという)のニュースを何度も耳にして来たが、全く自分には関係のないことだろうと思っていた。これは私自身がコピペ世代の前の世代に属しており、コピペが悪であるという認識を持っていると共にコピペという行為に慣れていないということがある。
そのため私自身が、コピペをしないのは少なくとも研究者をめざす学生においては当たり前の倫理であると思い込んでいたふしがある。したがって博士課程学生の指導時においても、コピペをしてはならないという指導は学生に対しては行って来なかった。それは研究者にとっては当たり前の倫理だと考えていたのである。そしてそれでこれまで問題はなかった。そのため私自身のこの問題に対する意識も低いものだったのかもしれない。
ところがである。ごく最近であるが、私がシンガポール国立大学で指導している博士課程の学生の一人が提出した博士論文が、論文の査読者からplagiarismの問題を指摘されるという事態が生じたのである。(お恥ずかしい次第であるが、私はそれまでplagiarismという単語を知らず、今回知った次第である。)
博士課程の学生の指導は、教員によっても異なるが週に1、2度の直接の面談によって進捗状況を聞き、今後の進め方に関して助言を与えるという方法をとっている教員が多い。そして3年程度で当の学生が博士論文を作成して提出する。それを指導教官がチェックした後に大学に提出する。大学では学内および学外からその博士論文のテーマの分野の適切な研究者を査読委員として選定して論文の査読を依頼するというプロセスを経る。
今回は当の博士課程学生の博士論文に対し、学外の査読委員の1名からplagiarismの指摘があった。その査読委員は若手の研究者である。後の査読委員数名はいずれもその分野の中堅もしくは大御所の研究者であるが、それらの査読者からは内容に関しては特に問題ないとの回答を得ている。ということは、plagiarismを指摘して来た若手の査読委員は剽窃チェックソフト(コピペチェックソフトと言ってもいい)を使ってチェックしたということになる。またそれ以外の中堅もしくは大御所の研究者の方々は、内容にのみ着目し論文剽窃のチェックは行わなかったことになる。

正にここに、現時点におけるplagiarismという問題に対して、研究者の間でも世代の違いによる考え方や対応の仕方の違いが明白に出ているのではないだろうか。ある程度以上の年齢の研究者は内容重視であり、コピペの有無はあまり問わないのに対し、若手の研究者はコピペの重大性を知っていると共に、論文の査読の際に内容をチェックすると共に剽窃チェックソフトを使うことが海外では常識化している事がわかる。

海外ですらそうであるからまだコピペに対する意識の低い日本では論文剽窃チェックソフトを使うのはまだまだ大学の先生方でも少数派である。しかし海外での状況を考えると、早晩日本においても論文のチェック時に内容をチェックするだけではなく剽窃チェックを行う事が常識化するだろう。

今回の私の博士課程学生の博士論文で剽窃が指摘された件は、剽窃チェックが常識化しつつあるという状況を私に教えてくれたという意味で大変良い経験になった。また私がそのような状況を私があまり知らなかったという意味で私にとってはショックであった。

と同時にそれ以上に私にとってショックだったのは、当の博士課程学生が私がシンガポール国立大学で私がこれまで指導して来た10数名の学生の間でも優れて聡明な学生だった事である。その学生は読書家であり、技術方面以外にも社会学・歴史・哲学など多くの本を読んでおり、知識も豊富であり自分自身のしっかりした考え方を持っている。私自身もその学生といろいろなテーマに関して議論を行って来たし、その議論を通してその学生から教えられる所も多かった。

その学生の博士論文は、内容に関してはしっかりしたものであり問題はない。しかし随所に他人の論文などをそのままコピペしているのである。Plagiarismを指摘された後本人に確認した所、たしかに他人の論文を部分的にコピペしているというのである。優秀な学生なので、部分的にコピペする際に日本語で言えば「てにをは」程度を直しておけばplagiarism検出ソフトをパスしplagiarismを指摘されないようにする事は容易であろう。

ところが本人は、「他人の複数の論文におけるアイディア・考え方を再構成して自分自身の考え方を作り上げたのであり、自分の考え方そのものはオリジナルである」と言う。そして確かにこの主張は正当である。ところがそれに続けて「他の論文のアイディア・考え方を引用する際に、時間を節約するため自分の書き方で表現せずコピペで代用した」というのである。これには私もうなってしまった。ここにはコピペさらに剽窃というものに対する最近の若い世代を代表する考え方が出ているではないか。