シンガポール通信−井筒俊彦「イスラーム文化」2

一般の人達特に経済人を対象とした井筒俊彦氏の講演をベースとしたこの著書の内容は、大変にイスラム文化というものの特徴を良く教えてくれる。

私たちはイスラム文化に関してあまり関心を持っていないと著者は言う。この講演は昭和56年(1981年)であるからもう30年以上前になる。しかし現在でも私も含めて大半の人達は、イスラム文化そしてそれを成り立たせているイスラム教に関しては、ほとんど知識を持っていないのではないだろうか。

そしてその反面で私たちがイスラム諸国に対して持っている知識といえば、テロリスト集団として知られる「アルカイーダ」、彼等が引き起こした米国の同時多発テロ(いわゆる「9.11」)、そして最近では過激で時に残虐な方法で勢力を拡大しつつある「イスラム国」などではないだろうか。そしてそれらの知識から、私たちはこれらの国々の人達を私たちとは異なる精神構造を持った人種、そしてそれが嵩じると時にテロ行為のような極端な行動に走りやすい人種という単純な考え方をしていないだろうか。

私自身もほとんどイスラム文化に対しては知識がないままに、なぜイスラム諸国でテロリスト集団が生まれ、彼等が欧米を対象とすると同時に同じ人種であるイスラム諸国の人達をも対象にしてテロを繰り返すのかが不思議であった。たぶんそれは、急速に流入する最新の科学技術や欧米風の考え方・生活様式などの欧米文化が、それまでのイスラム文化と正面から衝突するからだろうということはうすうす感じていた。そしてそのことは私の前著「テクノロジーが変えるコミュニケーションの未来」や最近刊行した「アジア化する世界」でも触れたのであるが、何分にもイスラム文化イスラム教に関する知識がないため、単なる表層的な記述にとどまっていた。

その意味で井筒俊彦氏の本著「イスラーム文化」は、大変に私にとって勉強になる著書であった。イスラム国の勢力拡大に伴い、イスラム諸国の現状やそれらの国々で生じている事が世界全体に与える影響などを論じた本は幾つも出版されていると思われる。しかし現在おこっている事の背後にあるイスラム文化イスラム教に関して、ここまで簡潔でありながら深く掘り下げて書いた本はないのではなかろうか。その意味で、現在イスラム諸国でおこっている事に関して興味をもっている人達には、ぜひ読んでもらいたい本である。

さてこの著書は「イスラーム文化」と題されているが、実際にはそれを背後で精神的に成り立たせているイスラム教に関して解説しており、イスラム文化が生み出した文化遺産の話は全く出て来ない。イスラム文化文化遺産の話などを期待して手に取った読者にとっては、期待外れの内容であろう。しかしながら再度言うが、その背後にあるイスラム教の本質を理解せずしてイスラム文化を理解する事は出来ないのであり、その意味では正しいタイトルであるといえるだろう。

私がこの著書で始めて知った事として、イスラム教独特の考え方として、それが単なる宗教にとどまらず人々の日常生活の全てに関わっている事がある。宗教の多くは聖と俗を区別する。宗教はあくまで人間の内面生活に関わるものであり、人々の生産活動や政治活動には関わらないとするのが普通である。キリスト教における新約聖書にある有名な言葉である「カエサルのものはカエサルに、神のものは神へ」は、これを端的に示したものであろう。

ところがイスラム教においては聖と俗を区別しない。これはコーランの説く所が単に人々の内面生活だけではなくて、日常生活の細部におけるふるまい、生産活動、そしてさらには政治活動をも律する事を意味している。すなわちイスラム諸国では全ての活動がイスラム教と深く結びついているのである。

個々の人間の内面的な考え方・思想に基づいて社会の全てが進行する。これは宗教というものの理想的な形態であろうが、現実問題としてはほぼ実行不可能であろう。そのため先ほどの新約聖書の言葉が現実的な考え方となるのであるが、イスラム教においてはそうではないのである。そのような事が実現可能なのかという意味も含めてこれは私にとっては大きな驚きであった。
(続く)