シンガポール通信−井筒俊彦「意識と本質」

さて話題ががらりと変わるが、前回日本に帰国した際に本屋で買い求めた岩波文庫井筒俊彦著「意識と本質」をこの週末に読んでみた。

私は井筒俊彦氏を知っている訳ではない。私にとっては全くの未知の著者であるが、岩波文庫の哲学の棚を見ていたらたまたまこの本が目に留まったので、そのタイトルに引かれて購入した。

しばらく前からギリシャ哲学から始まる西洋哲学と孔子儒学から始まる東洋哲学の比較をざっと勉強し西洋と東洋の哲学的な考え方の比較やさらには意識に対する考え方に興味をもっているので、このタイトルはなかなか面白そうに思え、著者を確認する事もなく購入した。

その後ネットなどで調べてみると著者の井筒俊彦氏(1914年〜1993年)は高名な東洋思想研究者であり、特にイスラム文化に詳しい学者であり、日本で最初の「コーラン」の現点訳を刊行した人物としてもよく知られているとのことである。このような方の名前を全く知らなかった事に対しては私自身の無知を恥じるしかないが、専門の分野でならばともかくも、一般の人には井筒俊彦氏の名前はほとんど知られていないのではあるまいか。

それはどうも彼がイスラムの専門家であり、日本人全体がイスラムに対して興味をもっていないからではあるまいか。私たち日本人は少なくとも日本を中心とした近隣の中国・韓国・台湾などのアジア諸国に関してはいい意味でも悪い意味でもそれなりの関心を持っているし、またニュースでもたびたび報道される。そして同時にヨーロッパ、米国で生じている事柄についても強い興味を持っている。

特にグローバル化の意味するところが、欧米の文化・科学技術を取り入れることを意味しているためどうしても欧米における新しい技術や、ファッションは率先して取り入れようと務める。

それに反してイスラムに関してはどうだろう。私たちの大半がイスラムの歴史・文化についてはほとんど知識を持っていないのではあるまいか。

イスラムは世界四大文明のひとつメソポタミア文明の発祥の地であり、ギリシャ、ローマ時代にはそれに対抗する国家としてのペルシャ帝国として存在した。さらにはイスラム教の発祥と共にイスラム教の教義の基に国家としてのまとまりができ、オスマン帝国として長期にわたって中東を支配して来た。

そして17世紀には中東、エジプト、ギリシャ北アフリカを含む帝国最大の規模を誇る時代を迎えた。科学技術の面では数学・天文学などで西欧を遥かにしのぎ、高い水準を達成していた時代が長く続いたのである。ところがその後オスマン帝国は衰退に向かい、ヨーロッパ列強の植民地化の対象とされ、科学技術の面でも産業革命により急激に科学技術が進歩した西欧に大きな遅れをとったまま現在に至っている。

ある意味でイスラムは、一時は西欧に対して科学技術や経済の面で優位に立ちながらその後西欧のアジア進出に伴い西欧の後手に回り、大きく西欧に遅れを取った中国と似たような歴史を歩んでいるのである。ところが中国は近年に至って大きな経済発展を遂げ、近い将来米国を抜いて世界最大の経済国になるだろうと予測されている。中国のリベンジが始まっている訳である。

これに対してイスラムは豊富に産出する原油に頼りすぎるためか、中国のように米国に対抗して世界の大国になろうという意欲が認められないのではなかろうか。私たちがイスラム諸国に対して持つイメージは、原油のお陰で大きな富は持っており、また過去の遺産である優れた文化遺産は持っているという理解であろう。しかし同時に、科学技術の進歩の面や国家の近代化の面では、いまだに他の先進国に比較して大きく遅れを取っている国々というのが、私たちがイスラム諸国に対して持っているイメージではあるまいか。

さらには最近の「イスラム国」のニュースがある。イスラム国は、かってのイスラム帝国としての統一をめざすとは言うものの、実際には残忍な手段に訴えて勢力範囲の拡大を図るため、テロ組織としてみられる事の多い組織である。

前置きが長くなったが、イスラム学者としての井筒俊彦氏を知らずにこの著書を購入した訳であるが、私自身もイスラムに関する勉強を今後したいと考えていた折りなので、彼の著書を読むことがイスラムに関する勉強の発端になることを期待している。しかしともかくも当面は彼の書いた「意識と本質」に注意を向けてみよう。

(続く)