シンガポール通信−シンガポールのアート事情3:シンガポールのアートブームは本物か?

版画などの場合と同様にビデオアートの場合もエディションを設けて、あらかじめ決められた数のコピーだけを作り売るという事にするのが通常である。こうすることによってビデオアートの価値を維持することができる。

それと同時に売り方も重要である。やはりDVDやメモリチップで売るというのは、通常の絵画などに比較するといかにも安くみえてしまう。一つの方法としてテレビ(もしくは業務用モニタ)と一体にして売るというやり方が考えられる。こうするとモノとして売ることになり、絵画などのアートと同じような形になる。

しかしテレビの技術は進歩が早く、すでに4Kテレビが普及し始めており、さらには将来的には8Kテレビなどが出現することが予想される。つまり購入したアートが技術の進歩により急速に古くなる可能性が大きいのである。テレビと一体型で売る事の問題点はここにある。つまり、ビデオアートをどのような形態で販売するかに関しては、まだ決まった方式というものが確立されていないのである。

という事は、一般のアートコレクタからするとビデオアートの購入というのは、現現時点では少々リスキーなことなのではあるまいか。そのため日本ではまだ個人でビデオアートをコレクションしているコレクタというのはほとんどいないと言えるだろう。

当然日本に比較するとアート後進国であるシンガポールでは、ビデオアートが売れるという事は期待できないことになる。ところがである。私のパートナーの土佐尚子が彼女のビデオアート作品を今年の10月から3ヶ月間シンガポールのギャラリーで展示しているが、その間に幾つかの作品が売れたのである。しかもそこそこの値段でである。

これには驚かされた。しかも見た目の美しいビデオアートより、より抽象的でいわばわかりにくいビデオアートの方が売れたのである。ということは、ビデオアートが今後アートの確立された一つの領域として認められ、コレクションの対象になると考えている人達がいるということである。しかもその人達はビデオアートに対しても従来のファインアートと同様に精神性を求めており、そのようなアートを購入しコレクションとしておいたり自宅で展示する事を行っているという事なのである。
もちろん将来の値上がりを末というコレクションビジネスとしてみた場合にもリスキーなビジネスになるので、こういうことができるのは一部の富裕層にかぎられるだろうが、ともかくも日本では考えられないようなビデオアートのコレクタがシンガポールでは出現し始めているのである。このことは部分的にせよアートの世界でシンガポールが日本の抜いてアートの先進国になりつつある事を示していることになる。

さてシンガポールにおけるアートの理解・普及に対する正の面を見て来たので今度は負の面を見てみよう。

上に述べたように一部の富裕層の間ではビデオアートがコレクションの対象になるという先進的な状況が生じつつあるが。しかしシンガポールは全般的に極めて格差の激しい国であって、一般の人達の間でのアートに対する理解はまだまだであると言わざるを得ない。

シンガポールのアートフェアであるアートステージシンガポールが多くの来場者でにぎわうという事を書いたが、実は来場者には大きな偏りがある。それは来場者が、アートコレクタとおぼしき富裕層、シンガポール在住および海外から訪れた欧米人、そして若年層に大きく片寄っているという事実である。これはそのような統計がある訳ではなく会場をまわってみた私の感想なのであるが、多分事実であろう。つまりシンガポールの一般の市民はまだまだアートに興味がある訳ではないのである。

それを裏付ける事実がある。今年の1月にシンガポールのマリーナベイサンズ地区にあるアートサイエンスミュージアムで、土佐尚子のビデオアートをプロジェクションマッピングで展示するというイベントを行った。もちろんそのイベントを行っている間は多くの人がプロジェクションされている映像に見入っていた。ところがそれと同時に、全く何事もなかったかのようにその映像の方を見もせずにイベント会場を通り過ぎる人達が結構居たのである。

これは日本では考えられない事で、私は少々ショックを感じた。日本ならば大きなイベントを行っている際には大半の人が少し足を止めて見たり、たとえ忙しくてもそのイベントの方を見ながら通り過ぎるだろう。ところがその人達はイベントが行われていないかのように、映像の方を見もしないで通り過ぎていくのである。土佐の作品のタイトルを書いて頂いた書家の方もその場に同席されていたが、その方も同じようにショックを受けたらしく私と同じような感想を漏らしておられた。

そして同じような経験を最近再び持ったのである。現在シンガポールのSUNTECと呼ばれるコンベンションセンタ−の巨大なディスプレイに土佐尚子の新作のビデオアートが展示されている。ところがその映像に関しても、立ち止まって見ている人がいるのと同時に、全く何事もなかったかのようにその映像の前を通り過ぎる人達がいるのである。

アート映像に見入っている人達とそれに全く関心がない人達のこのギャップはなんだろう。日本では人によって差があるとはいうものの、アートというものに対してほぼ全ての人達が関心をもっている。ところがシンガポールではまだ多くの人達にとってアートというものは彼等の関心の外にあり、存在しないも同然のものなのである。



SUNTECの巨大ディスプレイに展示してある土佐尚子のビデオアート。ちなみにこの巨大ディスプレイは現時点で世界最大のデジタルサイネージ電子看板)だそうである。