シンガポール通信−シンガポールのスポーツ事情

さてそれでは次に、シンガポールにおけるスポーツの位置づけがどのように変化しているかについて考えてみよう。結論から先に言うと、シンガポールにおいてはスポーツの位置付けも欧米化しているといえる。

私7年前がシンガポールに来た当時は、スポーツというのはシンガポールの人たちの生活の中で地位を持たなかったといえばいいだろうか。具体的にいうと、一般の人達はスポーツをする事にも鑑賞する事にもそれほど興味をもっていなかった。特にスポーツの鑑賞というのはシンガポールにおいては、人々が日常的に行う行為ではなかったといえる。

私たち日本人にとって、スポーツ鑑賞特にプロスポーツ鑑賞というのはすっかり生活の中で重要な部分を占めるようになっている。プロ野球シーズン中は、毎日のようにプロ野球の試合がテレビ中継され、多くの人達が自分がファンであるチームの試合を鑑賞する。またサッカーの試合の放映はプロ野球ほど盛んではないものの、サッカー放映専門のチャンネルがあったりして多くのサッカーファンがそれを鑑賞している。

また週末にはゴルフの試合の放映が行われるし、大相撲が始まれば毎日その取り組みが放映される。もちろんオリンピック、冬季オリンピック、ワールドサッカーなどの数年に一回というイベントの際は、日本選手の出る試合の多くがテレビ放映される。そして毎日のテレビ番組の中でその日のスポーツの結果を報じるニュースは、NHKや民放各社の重要なニュース番組である。

ところが私がシンガポールに来た当時は、テレビでのスポーツに関する放映・ニュースなどというものはほとんどなかった。各チャンネルを見ていても、スポーツに関するニュースなどがほとんどないのである。ほんの例外と言えるのはサッカーであって、サッカーの欧州のプレミアリーグの結果だけを簡潔にニュースとして報じていた程度である。

そもそもシンガポールにはプロスポーツというものが存在しない。存在しないというのはいい過ぎで、サッカーに関してはプロのサッカーリーグというのは存在する。しかしこれはごく一部のサッカーファンの興味の対象であって、その結果がテレビで報じられる事もなければ競技会場の観衆の数もごく限られたものであった。

もっと断言的なことを言うと数年前までシンガポール人はスポーツというものに興味をもっていなかった。もちろん彼等も日常のスポーツをしない訳ではないが、多くの場合ジョギング・水泳など自分で楽しめるスポーツに限られていた。そして特に私たち日本人が日常的に行っているプロスポーツ鑑賞という生活様式がなかったのである。

なぜシンガポール人がスポーツに興味がないか。それはスポーツが人々が生活して行くための手段になっていないからである。日本だと多くのプロスポーツが存在し運動能力に優れた子ども達はプロ野球・プロサッカーなどのいずれかのプロスポーツの世界で将来生活していける可能性がある。特に優れた運動能力をもっていれば、プロスポーツ選手として一般の社会人が一生かかっても稼げないような金を一年間で稼ぐ事も可能である。
従って日本では多くの子ども達がプロスポーツ選手になる事を夢見る。子ども達に将来何になりたいかを聞くと、プロ野球選手やプロサッカー選手になりたいという回答が常に上位にくる。そうしてそれは単なる夢ではなくて、プロ野球であれば中学野球から始まって高校野球大学野球さらには社会人野球と将来プロ野球の選手となるための養成の場が設けられている。つまりプロスポーツ選手は立派な若者の将来の生活手段の一つなのである。

それに対してプロスポーツがないシンガポールでは、運動能力が優れていてもそれは将来の生活の糧にはならない。あくまでいい大学を出て政府機関やいい企業に就職する事が人々のめざすものなのである。このことがシンガポール人がスポーツに興味をもたず、スポーツ鑑賞という生活様式を持たない理由であろう。

運動能力が優れている事が取り柄という子どもは多いだろう。そのような子ども達にとって、シンガポールというのは極めて住みにくい国である事はまちがいない。親も受験勉強は口うるさくいっても、子どもがスポーツに才能を持っている事は決して喜ばない。このことがシンガポール人がスポーツに無関心である事の大きな理由であろう。阪神がたかだかCSリーグで巨人を倒して日本シリーズに進出したからといって、道頓堀に飛び込む人が続出する日本とは何という違いだろう。

(続く)