シンガポール通信−ジャレド・ダイヤモンド「昨日までの世界」4

ジャレド・ダイヤモンドの「昨日までの世界」は、「銃・鉄・病原菌」や「文明崩壊」などのように著者の新しい歴史観を提示して読者をわくわくさせてくれる部分は少ない。しかしその反面、著者がその豊富な知識と深い洞察によって太古の昔の人々の暮らしと現在の人々の暮らしを比較し、現在の私たちが一見当たり前と考えている暮らし方の多くに反省を迫っているという意味で大変優れた著書であると考えられる。まだまだ書きたい事は多いが、最後にもう一つこの著書に記述されている事で大変興味深い事を示しておこう。

それはニューギニアで話されている言語の種類の多さであり現地人が話す言語の数の多さである。現在地球上には約7000の言語が存在しているといわれているが、ニューギニアではなんと1000の異なる言語が存在している。ニューギニアの面積は78万平方キロメートル、日本の総面積の約2倍の広さではあるが、世界の大陸の広さから見るとちっぽけな島に世界全体で話されてる言語の1/7が存在している。これは驚くべき事ではあるまいか。

なぜニューギニアという島にそのように多くの言語が存在しているかについて、著者はいろいろと理由を考え本書でその理由を述べている。結論から言うと、ニューギニアに住んでいる現地人が多くの部族に分かれて生活しており部族間の交流が少ない事が、部族ごとに独自の言語を発達させているのだというのである。

ニューギニアは熱帯に位置しており、気候は湿潤で一年を通して雨が多い。そのため農作物が豊富に取れまた海岸地帯では魚などの魚介類が豊富に手に入る。このことは、ニューギニアの原住民があまり食料の不足に悩む事なく、それぞれの部族ごとに自分たちの定住地域から動かずに生活して行ける事を示している。一方でニューギニアは地形の変化に富み、海岸地帯から山岳地帯に至る種々の異なる気候に富んだ島である。とはいいながら先に述べたように全体としては熱帯地帯に存在しており、それぞれの地域がそれぞれの地域に適した食料調達法をとることにより、完全に自立した生活を行うことができる。

海岸地帯では海産物を中心とした食料により生活し、山岳地帯ではその標高に応じて地域ごとに適した作物を栽培することにより生活して行くことができる。これらのことにより、変化に富んだ地形のそれぞれに適した形で少数の部族が独立して生活して行ける事になり、かつ異なる部族間の交流が少なくとも物々交換などの手段による事なく生活して行ける事を示している。

このことが比較的少ない人数から構成されている各部族がそれぞれ独自の言語を発達させ、結果として全体として世界中の言語の1/7に相当する1000もの言語がニューギニアに現在存在しているという結果を生んでいるのである。

もう一つはニューギニアが現在に至るまで国家が存在する以前の部族社会の形態を残している事である。国家はそこに住む国民に母国語としての一つの言語を使う事をある意味で強制する。もちろん複数の民族から構成される国家は、それぞれの民族ごとの言語の存在を認めるものの公式には第一言語としての母国語を使う事を国民に強制するのである。このことは本来多用英に富んでいた国家内の言語の多くを圧迫しさらには消滅させる事に繋がりやすい。ニューギニアでは国家という形態が生じていないために、このような言語の統一に対する圧力が存在していないため言語の多様性が存続できるのである。

小さい島に1000もの言語が存在するという事は、当然書く言語を話す部族の人数が多くない事を示している。事実ニューギニアでは一つの言語を話す人数が数百人時には数十時んである場合も存在する。一つの言語を話す人の数が数千万、数億といった事に慣れている私たちに取って、これも驚くべき事ではあるまいか。

そしてそれ以上に驚かされるのが、それぞれの人が話す事の出来る言語の数である。距離的に離れた部族間の交流が少ないとはいえ地域的に近い部族間での交流は存在するため、近い部族とのコミュニケーションのためにはその部族の言語が話せる必要がある。著者によると、ニューギニアでは5つの言語を話せるのがあたりまえ、人によっては10以上の言語を話せるという事である。つまりニューギニア人は基本的にはマルチリンガルの能力を持った人達なのである。

英語の習得にすら四苦八苦している日本人の多くに取ってこれは驚くべき事ではあるまいか。私たちは知能の高さと話せる言語の数の間に関係があると無意識に思っていないだろうか。つまり日本語以外に英語が話せるのは頭のいい人であり、時々存在する3言語以上を操れる人は天才であるかのように思っていないだろうか。そのような固定観念ニューギニアの現地人は打ち砕いてくれるのである。

どのようにしてニューギニアの人達が5つもしくはそれ以上の言語を操れるようになるのだろうか。これに関しても著者の説明は極めて簡単である。地理的に近くに住む他部族との接触は普段から頻繁に行われるので、ニューギニアの子ども達は普段から複数の言語が話されている環境に置かれている。そのために学校に入学以前に自然に3〜5つの言語を覚えてしまうというのである。

現在子どもをマルチリンガルにする事の重要性・必要性などが叫ばれ、幼い頃から英語を使う環境に子どもを置こうという親が増えて来ている反面、幼い子どもに複数の言語を押し付ける事は子どもの言語使用能力がいびつに育つ危険性があるという指摘もなされている。しかしニューギニアの原住民が5つ又はそれ以上の言語をごく普通に言語を使いこなせしかもそれを子どもの頃に自然に身につけるという事実は、このような議論を瑣末な議論として吹き飛ばしてしまう力を持っているではないか。