シンガポール通信−御嶽山噴火における「心肺停止状態」という表現は正しいのか

御嶽山が突然噴火したというニュースが飛び込んで来た。以下Wikipediaなどからの情報であるが、御嶽山とは何かをまとめておこう。

御嶽山は長野県と岐阜県の県境に位置する標高3067mの火山である。かっては死火山もしくは休火山と考えられていたが、1968年から活発な噴気活動を始めた。さらに1979年に水蒸気爆発を起こし、約1000mの高さまで噴煙を噴出した。噴出物の総量は約二十数万トンで北東方向に噴煙が流れ軽井沢や前橋市まで降灰した。

このことは活火山・休火山・死火山というそれまでの日本における火山の分類そのものの見直しにも発展し、現在では休火山・死火山という分類は行われておらず、活火山か否かという分類だけが行われている。

テレビの報道では、登山客によるビデオ映像が繰り返し流された。それまで静かだった山頂に突然噴煙が高く舞い上がり、噴煙が登山客を巻き込み火山灰が降り始めると共に辺りがまっ暗になる。秋晴れで紅葉の時季の御嶽山の登山を楽しんでいた登山客にとっては本当に突然の出来事であったであろう。

あちらこちらで悲鳴が聞こえると共に、「どうすればいいの」という女性の悲鳴も聞こえる。そういうなか「山小屋だ、山小屋へ非難しよう」という落ち着いた男性の声が聞こえる。多分登山経験も豊富な男性なのであろう。その男性の声に従って山小屋に避難したためこのグループは難を逃れることができたのであろう。

それにしても、噴煙が迫って来ているのにビデオを撮り続ける人の感覚というのは何だろう。背後から同じ男性と思われる人の「ビデオなんか撮っている状況じゃないだろう」という怒声が聞こえるが、噴煙にまかれて真っ暗になるまでのビデオ映像が残っているということは、本当に自分に身の危険が迫るまでビデオを撮り続けたということである。ビデオや写真をとるチャンスがあればすぐにスマートフォンやカメラを向ける映像世代だからの行動だろうか。

山小屋に避難して来た人達を撮った映像もある。皆全身火山灰だらけである。火山灰が口や鼻に入って呼吸が困難だったという。本当に危機一髪で登山小屋に避難できたのであろう。そしてまた興味深いのは、これも同様にそのような避難客をビデオに撮っている人がいるということである。自分自身が命からがら山小屋に避難できたというのに、次の瞬間にはカメラマンに変身して、他の避難客や山小屋内部の様子をビデオで撮影している訳である。

ビデオやカメラで対象を撮るという行為は、何かの出来事の場に自分が第一人称として参加しているのではなくて、第三者としてそれを観察していることを示している。自分の命の危険性があるというのに、それを他人事のように眺めながらビデオ撮影しているわけである。

昔ならば、人々はこのような緊急の時には、自分の身を守るのが第一で第三者的立場に立って写真やビデオを撮るなどという行為はしなかったというより出来なかったのではあるまいか。そういうことを出来る人、それは多分プロのカメラマンであろうがそのような人は「命の危険も顧みず目の前の出来事を記録した勇気ある人」としてたたえられたのであろう。

それを普通の人が行っているのである。やはりビデオゲームなどで育ったゲーム世代、何でもカメラやビデオで撮る映像世代特有の行動様式ではあるまいか。またこのような時にビデオを撮るのは男性が多いのか女性が多いのかというのも調べてみると面白い結果が得られるかもしれない。

さて今回の報道で大変気になったことがある。それは28日夕方のテレビなどのメディアの報道に「山頂付近に心肺停止状態の登山客27人を確認した。しかし毒ガスの発生が確かめられたため救助活動を打ち切らざるを得なかった」というものがあったことである。そしてまた29日朝のメディアの報道では「心肺停止状態の登山客の救助活動を再開した」という報道があったことである。

心肺停止状態とは何か。息をしておらず心臓が動いていない状態である。直接的な表現を用いれば死亡しているということである。もちろん心肺停止状態になった直後であれば電気ショックを与えて心臓の動きを再開させる蘇生措置によって生き返ることは可能である。しかし心肺停止状態を数分続けていれば死亡に至ることは確実である。したがって心肺停止状態の登山客を発見しその場で蘇生措置を行わなかったのであれば、それは死亡した登山客27人を発見したというのと同じことである。

つまりそれはこういうことである。「救助作業のため山頂付近に赴いた自衛隊、消防隊などの救助隊は既に死亡している登山客を27人発見した。しかし負傷者も含め生存者の救助を優先した。そして死亡した27人の登山客の遺体の搬送を始めようとした所、毒ガスの発生が確認されたため、搬送作業を中止した。」そしてまた29日の報道に関しては「27人の遺体の搬送作業を開始した」と言うのが本当の所である。

なぜそのように言わないのか。それは医学上は「死亡」と判定するには医者の確認作業が必要であり、それまでは「心肺停止状態」という言葉を使うからであろう。しかしそれはあくまでも医学上の表現である。心拍停止状態でしばらく経過した場合は死亡したというのが私たち一般人の感覚であろう。

メディアが「心拍停止状態」とか「救助作業を打ち切った」「救助作業を再開した」という報道をするのは、救助隊側の報告をそのまま繰り返しているに過ぎない。はたして不明になっている登山者を捜している家族や友人に、それらの言葉の意味が正しく伝わっているであろうか。

私が恐れるのは「28日は毒ガスの発生により救助作業を打ち切らざるを得なかったが29日早朝より救助活動を再開する」いう報道によって不明の登山者の家族や友人が望みを持ち待ち続けることである。

このような報道の仕方は「真実を伝える」というメディアのあるべき姿に反しているのでないだろうか。