シンガポール通信−金子常規「兵器と戦術の日本史」:まえおき

最近、歴史それも世界史に大変興味をもつようになった。それはイアン・モリス著「人類5万年 文明の興亡」などの本を読んでからである。特にイアン・モリスのこの本は、副題として「なぜ西洋が世界を支配しているか」という刺激的なタイトルが付いているため、大変興味深く読んだ。

今日西洋(もしくは米国も含めて欧米)の科学技術、さらにはもっと広く言うと西洋文明が世界の標準となっていることは、誰も否定出来ないであろう。そのため西洋以外の他の国々は、西洋諸国に対して政治的・経済的な面で劣勢に立たないためにも、自国の伝統文明と折り合いをつけながら、いかにして西洋の科学技術、西洋の文明を早く取り入れるかということに熱心になっているといえよう。

そしてこのような西洋優位の状況を、私たちは文明の初期からずっとそうであったと無意識に思い込んでいるのではないだろうか。ところがイアン・モリスのこの本は、必ずしも人類の長い歴史の中ではそうではなかったことを示している。特にローマ帝国が分裂して西ローマ帝国が滅亡に向かう頃から、イギリスを中心に西洋で産業革命が起こる頃までは、中国を代表とする東洋が西洋に比較して文化の面でも科学技術の面を総合した面で優れていたとする記述内容は大変に刺激的である。

つまり、産業革命が起こったことが西洋文明をして東洋文明を抜き去り、そして東洋文明を含めた世界の他の文明に対してそれ以来西洋文明が圧倒的な優位を占めているのである。さてそうすると、当然ではあるがなぜ中国を始めとして東洋では産業革命が起こらなかったのかという疑問が生じて来る。

イギリスの科学歴史家ジョゼフ・ニーダムは、この疑問から出発して中国の科学や文明の歴史を丹念に研究した最初の西洋の研究者である。そしてその研究結果を「中国の科学と文明」という大部の著書にまとめた。そのため「なぜ西洋が世界を支配しているのか」という問題は「ニーダム問題」として知られている。

そして「なぜ西洋が世界を支配しているのか」という疑問は私自身にとっても大変興味ある問題である。それは私が全く別の立場であるコミュニケーションの仕方という観点から西洋対東洋という関係を見た場合、現在起こっていることは西洋におけるコミュニケーションの仕方が東洋に置けるそれに近づきつつあるという確信を持ったからである。

この具体的な内容は私が最近出版した「アジア化する世界」という本の中で論じたけれども、西洋のコミュニケーションの仕方が東洋のそれに近づきつつあるということは、再び東洋が西洋に対して優位に立てる可能性が大きいことを示している。言い換えると、18世紀に東洋文明が西洋文明に抜かれたが、近い将来に抜き返す可能性があることを示している。

このあたりのことを私なりの観点から検討しまとめて次の本として出版しようということを現在考えている。(もっとも最近ビジネスの方で忙しくなりつつあるので、実現するかどうかはわからないが。)

現時点ではまだ全く考えがまとまっている訳ではないが、不十分ながら幾つかの本を読んで私なりに以下のように思っている。それは、東洋では産業革命が起こらずその結果として西洋に抜かれてしまった訳ではあるが、それは産業革命そのものに原因があるというよりは、もっと以前からそのきっかけは生じていたのではないかということである。

それでは遠因はどの時点にあるだろうか。現在直感的に思っているのは、どう15世紀半ばから西洋でアジアへ向かう新しい航路を求めて東への航海や西への航海に乗り出した多くの探検的航海が行われたいわゆる「大航海時代」の始まりがそうではないかということである。

西洋で未知の新しい航路を求めて大海原に乗り出して行った大航海時代が始まったのに対して、東洋では全く正反対の動きが生じた。それが国を対外貿易から閉ざしてしまい、自国民に海外へ乗り出すことを禁じる政策である。中国ではその政策は海禁政策とよばれ、日本ではよく知られているように鎖国と呼ばれる。

なぜ西洋と東洋でこのような対照的な政策がとられることとなったのか。ここに焦点を当てて検討することが科学や文明における西洋優位の状況が生まれた原因を知ることに通じるのではないか。それが現在私が考えていることである。

ということは、当然中国の歴史に加え日本の歴史特に対外的な歴史を勉強する必要があることになる。というわけで、前置きが長くなったが金子常規著の「兵器と戦術の日本史」を読んでみようと思ったきっかけである。

(続く)