シンガポール通信−ソニーのヘッドマウントディスプレイ

幕張メッセで開催中のゲーム展示会「東京ゲームショウ」で、ソニープレイステーション用のヘッドマウントディスプレイ「プロジェクト・モーフィアス」を発表したというニュースが出ている。

ソニーは以前から、ゲームをしたりテレビを視聴する場合に臨場感や没入感を得るためのツールとしてのヘッドマウントディスプレイを商品化して来た。地道に改良を続けて来ており、現在はHMZ-T3とHMZ-T3Zという2種類の商品を販売している。

もちろん「プロジェクト・モーフィアス」はそれらの商品の延長上にあるわけであるが、プレイステーションに特化していることが特徴である。具体的には、プレイステーションのカメラを装着することにより、頭の動きに応じて映像が変わることが可能になる。さらにプレイステーションのコントローラーを併用すれば、自分が3Dの世界に入ったかのような臨場感を味わいつつゲームを行うことができる。

ソニーが長年改良を続けて来たヘッドマウントディスプレイの技術が用いられている訳であるから、得られる映像が臨場感に富んだものであることは納得できる.さて問題はこの商品が売れるだろうかということである。結論から言ってしまえば、一部のゲーム好きには購入してもらえるだろうが、ゲームファン一般に普及というにはいたらないであろうというのが私の考えである。

それはヘッドマウントディスプレイを装着するという体験に対して、一部のゲームオタクは別にして一般の人々がまだまだ抵抗感があるからであろう。グーグルグラスのような眼鏡型のディスプレイ(いわゆるシースルー型のヘッドマウントディスプレイ)であれば、眼鏡をかけているのと基本的には同じ感覚であるから、それほど抵抗感はないかもしれない。

とはいいながらも現状では、通常の眼鏡とは異なり明らかに眼鏡型のディスプレイを装着していると他人からはわかるから、グーグルグラスが発売されたとしても、流行好きは別として一般の人々は装着するのに抵抗感があるだろう。このあたりは前回紹介したApple Watchとは大きな相違がある。Apple Watchは時計の延長に見えるようにデザインしてあるから、一般の人々もそれを装着することにはそれほど抵抗感はないだろう。それがApple Watchがある程度は普及するだろうという予想につながるのである。

グーグルグラスですらそうであるから、装着している人の目を中心に顔面の多くの部分を覆ってしまうヘッドマウントディスプレイを、一般の人々が装着するとは考えにくい。第一すでにソニーが商品として発売しているHMZ-T3やHMZ-T3Zなどのヘッドマウントディスプレイを装着している人を見たことがないではないか。

実はソニーがヘッドマウントディスプレイを商品として発売し始めたのは、1996年にさかのぼる、当初はグラストロンという商品名で発売していた。ソニーらしくデザインもこっており、なかなかファッショナブルな商品に仕上がっていた。ソニーはグラストロンによって家庭内ではもとより電車やバスに乗っている際に、DVDプレーヤーと一緒にして映画などを鑑賞するという、新しい形態の商品いやもっというとその商品を使うという新しいファッションを開拓しようとしていたようである。確かに一時は時々電車内などでグラストロンを装着している若者を見かけたこともある。

しかしながら、そのうち見かけなくなってしまった。それはやはり目の周りを覆ってしまう装置を装着していることが、周囲の人々に異様な感覚を与えたからであろう。ソニーはグラストロンを装着している姿が他人からファッショナブルに見えることを、そしてそのためにグラストロンが新しいファッションとして広まることを期待したのであるが、残念ながらそうはならなかった。それは人々がグラストロンを装着した姿をファッショナブルと感じなかった、むしろグロテスクと感じたからであろう。

さてこのあたりがなかなか難しい所ではなかろうか。ソニーはウオークマンの商品化によりカセットプレーヤーを持ち歩きながら音楽を聴くという新しいファッションを提案し、それは人々に受け入れられた。ところがグラストロンは新しいファッションとしては受け入れられなかった。

つまり新しいものはあるレベルまでは人々はファッショナブルとして受け入れることができる。しかしある一線を越えるとそれはファッショナブルではなく時にはグロテスクと感じ取られてしまうのである。もちろん人々の感受性は時と共に変わる。しかし同時にそれは時間を要することでもある。

前回書いた腕時計型端末にしても同様である。時計は時間を知る道具と言う位置付けを越えて、ファッションであり文化になってしまっている。腕時計型端末を時計に取って代わる商品という位置付けにして売るという戦略は、上手く働かないだろうと私は思っている。それに対してアップルのApple Watchに見られるように、あくまでも時計という基本コンセプトは変えずにそれに新しい機能としてスマートフォンの一部の機能をのせるという戦略の方が、人々に受け入れられやすいと思われるのである。