シンガポール通信−朝日新聞の誤報はなぜ生じたか? 3

朝日新聞において慰安婦強制連行の記事が作成され新聞上で発表され、それが世の中に受け入れられて行った過程を振り返って見ると、STAP細胞の報道の場合と極めて良く似ていることに驚かされる。

朝日新聞慰安婦強制連行の記事は、よく知られているように元朝日新聞記者であった植村隆氏によって書かれたものである。植村氏が慰安婦強制連行の記事を書こうと思い立ったのは、吉田清治というフィクション作家に出会ったことがきっかけであろう。

吉田清治氏は、太平洋戦争中の自らの体験として韓国において慰安婦の強制連行をしたことを植村氏に告白したのであろう。証拠のない告白であるから、それを真実であると信じるか否かは植村氏が吉田氏の告白を信用するか否かにかかっているわけであるが、植村氏は吉田氏を人間として信用し、その結果吉田氏の告白を事実であると信じたのではあるまいか。

植村氏が吉田氏を信用した根拠であるが、単に自分が韓国で慰安婦の強制連行を行ったことを告白するのみならず、謝罪活動をも行い、天安市に私費で謝罪碑を建てたりその後も韓国で講演と謝罪を繰り返すという活動を行ったことによるのであろう。

そして植村氏は吉田氏の告白に基づき、太平洋戦争中に韓国で慰安婦強制連行が行われたとする記事を1991年の朝日新聞に掲載した。当然ではあるが、記者が書いた記事が記者の一存で新聞に掲載される訳ではなくて、編集局に送られ最終的には編集長のOKが出て掲載に至るのである。

ということは、朝日新聞編集局も植村氏の書いた慰安婦強制連行に関する記事を真実と認めたのである。植村氏は具体的な証拠がないまま吉田氏の人間性を信用したが故に、吉田氏の慰安婦強制連行の告白を信用した。それでは直接吉田氏を知らない朝日新聞編集局は、なぜその記事を真実と判定したのであろうか。

それは、植村氏が記者として優秀であると上司から認められていたからということが、大きな理由であろう。この慰安婦強制連行の記事の後にはなるが、朝日新聞に連載された「新聞と戦争」という記事によって、その取材班の一員であった植村氏は第8回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム対象を受賞している。これは植村氏が上司のみならずジャーナリズム業界でも優秀な記者として認められていたことを示している。

もう一つは、この記事が朝日新聞編集局からスクープと見なされたからであろう。新聞業界では、他社に先駆けて大きなニュースを報道することがもっとも社内で求められていることである。慰安婦強制連行が元日本兵だった人物の告白によって事実であると確信することができる。そしてそれを他社より先に報道すれば大スクープとして日本国内では大きなニュースとして受け止められるだろう。そしてそれは朝日新聞の名声を上げることにも貢献するだろう。

朝日新聞の編集局はそう思って、みずから裏を取ることなしに植村氏の書いた記事を事実と確信し、世間に向けて大々的に報道したのであろう。

ところがこのニュースは、その後多方面から疑問が提示されることになる。そのもっとも重要なものは、吉田氏が自ら慰安婦強制連行を行ったとする済州島において、日本側および韓国側が行った追跡調査においてそのような事実が出て来なかったということである。そして結局は吉田氏が自らの証言が捏造であったことを認めたのである。

しかしその後も朝日新聞慰安婦強制連行に関する記事の取り消しを行わず、やっと2014年になって記事の取り消しと祖手に伴う社長の謝罪をおこなったわけである。

さてこの事件と最近のSTAP細胞事件を比較してみよう。小保方氏に対応するのはもちろん元朝日新聞記者の植村氏である。後で疑義が提出されることになるとはいえ、小保方氏も植村氏も最初自分が見いだしたものが真実であると確信して疑わなかったのではあるまいか。そのため自信満々にそれ(小保方氏の場合はSTAP細胞作成に成功したことであり、植村氏の場合は慰安婦強制連行に関する確たる証拠をみいだしたこと)を上司に報告した。

上司は誰にあたるだろうか。小保方氏の場合は後に責任を取って自殺するに至る笹井氏である。そして植村氏の場合は朝日新聞編集局(もしくはそれを代表する編集長)であろう。そしていずれの場合も部下が持って来た成果を、裏付けをとったり追試実験を行うなどの確認を行うことなく、真実であると確信したのである。

その理由は、上に述べた植村氏の場合と同じように小保方氏の場合においても、上司が部下が優秀であると認めており、優秀な部下が持って来た成果であるから間違っているはずはないと思い込んだことにある。そしてまた同時に、部下が持って来た成果を外部に発表すれば大きな成果として世間の注目を集め、自分や自分の存在する組織の評価が高まることに確信を持ったからである。

理研の笹井氏のように、すでに専門領域では世界的に有名になっている研究者でも、ノーベル賞級の成果を出して世間に認められたいという願望は持っているのであろう。そしてそのことが、小保方氏がSTAP細胞作成に成功したという成果を持って来た時に、それを性急に信じ込み追試をすることなく世間に大々的な成果として発表した。そしてそれがそれ以降の騒動につながり、結局はその責任に耐えきれず本人は自殺するという結果につながった。

一方朝日新聞の場合も、すでに日本を代表する新聞として内外の評価が定まっているにもかかわらず、大きなスクープ記事というものは欲しいものらしい。そこに慰安婦強制連行の証拠という、朝日新聞の立場からしても願ってもないニュースが飛び込んで来た。そしてそれを持ち込んだのは普段から優秀であるとして認めている植村記者である。他社に成果をとられる前にということで編集局がそのニュースの真偽性を良く確かめもせずに真実であると思い込み、新聞記事として掲載することを認めたのであろう。

とするならこれらの事件は人間心理の奥底に潜んでいる成功願望、著名人願望とでもいったものから生じたものであり、それは誰にでもまたどのようなメディアにも起こる可能性のある者なのかもしれない。