シンガポール通信−朝日新聞の誤報はなぜ生じたか?

朝日新聞がこれまで報道して来た記事内容の幾つかに誤報があったとして、その取り消しや謝罪を行ったことが話題になっている。朝日新聞はそこに掲載された記事に対しては、これまで高い信頼性を誇ってきた。またそのコラムである「天声人語」は、日本を代表する文章としてたびたび大学入試の問題として取り上げられるなどしてきており、まさに朝日新聞は日本を代表する新聞としての揺るぎない地位にあったといえる。

その朝日新聞が、自らが報じた記事を誤報として取り消したり、また誤った記事を掲載したことに対し社長が謝罪するというのは、尋常の出来事ではない。多くの他のメディアがこのことを論じているが、これまでの朝日新聞の他社に対する態度にどこか見下すような視点があったためかもしれないが、いずれのメディアも朝日新聞に対して極めて厳しい態度で望んでいる。しかしこのことを考えて行くと、朝日新聞に限らず日本の新聞やそれ以外のメディアが抱えている問題が明らかになってくるような気がする。

まず誤報の一つは、太平洋戦争中韓国において日本軍が朝鮮人女性を強制連行したとするいわゆる慰安婦強制連行を行ったとする吉田清治氏の告白に基づき、これを吉田証言として16回にわたって記事として掲載してきた事件である。その後日本と韓国の追跡調査から、これが吉田氏の捏造であり事実でないことが明らかになったにもかかわらず、朝日新聞はその記事の取り消しを行って来なかった。

それが2014年8月になって、この記事の一部が事実ではないとして取り消すと共に、9月11日には木村伊量社長が誤った記事を掲載したことに対して謝罪した。慰安婦強制連行に関する朝日新聞の記事は、1993年に当時の河野洋平内閣官房長官がこの問題に関して韓国の国民や韓国政府に謝罪を表明するいわゆる「河野談話」が出るのに対して影響を及ぼしており、また海外のメディアのこの問題に対する見方にも大きな影響を及ぼしている。

それは朝日新聞が日本を代表する新聞としてその記事に対する信憑性に対しては外部から高い評価がなされて来たからである。河野談話はその後の内閣がほぼ一貫してその内容を踏襲して来た。すなわち慰安婦強制連行を事実と認め、それに対する謝罪の意を日本として表明するという立場を継続して来た訳である。ここにも朝日新聞慰安婦強制連行記事が影響を与えていると言ってもいいであろう。

そのある意味で根拠となった記事が取り消されたということは、慰安婦強制連行という事実そのものに対しても疑問が呈されるということが生じうるのである。

今回の朝日新聞の記事の取り消しと社長の謝罪は、吉田証言に基づく慰安婦強制連行が誤った記事であったことを示しているだけであって、慰安婦問題そのものが存在しなかったことになるわけではない。他の事実からも慰安婦問題そのものが、その程度はともかくも存在したということは否定するわけにはいかないだろう。

しかしながらである。日本を代表する新聞が自らが掲載して来た慰安婦強制連行が行われたとする吉田証言に基づく記事を取り消すことは、あたかも慰安婦問題そのものが存在しなかったかのような印象を人々に与えやすい。

さすがに朝日新聞以外の新聞メディアも、朝日新聞の記事取り消しが遅きに失したことは強く非難するにせよ、これをもって慰安婦強制問題が存在しなかったとまでは主張していないようである。しかしながら、週刊誌など他のメディアは読者の目を引きたいが故に、慰安婦問題そのものが朝日新聞による捏造であり実際には存在しなかったというような書き方をしている。
日本と韓国の関係が微妙な時に、このような日本人の愛国心をかき立て、一方韓国人の感情を逆撫でするような興味本位の各メディアの記事の書き方には強い危惧の念を覚える。

さてもう一つ朝日新聞が今回の慰安婦強制連行事件に関する記事の取り下げに関して強く非難されていることがある。それは朝日新聞にコラムを掲載していた池上彰氏が、この事件に対して朝日新聞が謝罪すべきであるとしたコラム記事を書いたのに対し朝日新聞がその掲載を一旦拒否し、その後社長の謝罪に伴い一転してコラムの掲載を認めたというものである。

自社に対して批判的な記事を、それも読者に対する影響力の大きな識者が書いた記事を自社の新聞に載せることに対して、否定的な気持ちになること自体は解る。しかしながら新聞のあるべき姿は、片寄った見方をせず常に公明正大な立場から記事を掲載することであろう。それを先頭に立って主張すべき朝日新聞が、そのような態度を取ったことは大変残念である。むしろ平気な顔をして池上氏の記事を掲載していれば、さすがに朝日新聞と評価されたのではないだろうか。

(続く)