シンガポール通信−プレッシャーに押しつぶされた偶像:理研笹井氏の死に思う 3

笹井氏は、小保方氏からのSTAP細胞作成成功の報告とその裏付けとなるデータを提供されて、優秀な部下として信頼している彼女が実際にSTAP細胞作成に成功した事を確信した。その作成の容易さから、iPS細胞をしのぐ可能性のある再生医療における大発見である。

そこでまず彼が小保方氏に指示したのは、ネイチャーにSTAP細胞作成成功に関する論文を投稿する事である。もちろん原案は小保方氏が書いたのであろうが、笹井氏がそれを論文としての体裁を整えるために大きな修正を入れたのは間違いない。論文作成の名人と言われてきた笹井氏である。ネイチャー側からしても掲載に問題ないと判断できる論文がすぐに出来上がり、投稿しそして早速ネイチャーに掲載されたのであろう。

次はマスコミに研究成果を発表する段階である。いわゆる「報道発表」と呼ばれるもので、大学や公的あるいはメーカーの研究機関でも、大きな研究成果が出た場合にはマスコミで報道してもらうために報道発表を行う。これ自身は研究者の誰もが行っている行為である。

しかしそのやり方が問題だったといわざるを得ない。この報道発表を「すべての細胞に成長可能な万能細胞を作成する新しい手法であるSTAP細胞の作成に成功したと確信している。成果はネイチャーに掲載した。今後は再現実験を行って、本手法で確実に万能細胞が出来る事を確かめる必要がある。」とでもしておけば、ここまで大騒ぎにはならなかったであろう。

しかし笹井氏は、STAP細胞がiPS細胞を凌駕する大きな研究成果であることを確信し、山中教授率いるiPS細胞研究センターを凌駕する大きな研究センターを作り上げる事を夢見た。そのためにこの報道発表を、通常の地味な研究成果の発表ではなくて、派手なイベントに仕立てる事を計画したのではあるまいか。ここに彼の勇み足の部分があったのではなかろうか。

研究者の生活というのは地味なものであり、専門領域では世界的に名前を知られていても、マスコミ的には無名であるのが通常である。iPS細胞の山中教授にしてもその分野では世界的に知られていても、私たち一般人が彼の名前を知ったのは彼がノーベル賞を受賞してからではないだろうか。もっとも今では彼の名前と顔を知らない日本人はいないだろうから、外出時などには大変であろう。いわば山中教授は、研究者であると共に一種のタレントとして扱われる立場にいるわけである。

笹井氏は、山中教授そして彼のiPS細胞には大きなライバル意識を持っていたであろう。いやこういっていいならば、研究者の力量としては自分の方が上だと思っていた可能性も大きい。とことろが山中教授が誰でも知っている有名人であるのに対し、自分はマスコミ的には無名である、なんとかできないものかと思っていたのかもしれない。

そうしていた時に、正にグッドタイミングで信頼する部下の小保方氏が、iPS細胞をしのぐ可能性の大きいSTAP細胞作成成功というニュースを持って来た。彼はこれを大々的にマスコミにニュースとして売り込もうと思ったのであろう。

それが、小保方氏の通常の白衣の代わりに割烹着を着た実験風景であり、また壁をピンクに塗った彼女の研究室であり、壁や実験器具に貼ってあるムーミンのシールであった。笹井氏は、STAP細胞作成成功という成果に添えてこのようなエピソードを強調する事が、マスコミが飛びついてきやすいと思ったのだろう。そして事実、マスコミはこのような通常の研究者には見られない小保方氏のキャラクターに、大きなニュース性を見いだして飛びついた。

そしてこれがそれ以降日本中を巻き込んだ過熱報道の発端となったのである。そしてマスコミの過熱報道に乗せられ、一般の人々も割烹着・ピングの部屋・ムーミンのシールなど親しみの持てるキャラクターであるキュートな若い女性研究員が、ノーベル賞クラスの大発見をしたというニュースに熱狂した。これは笹井氏の思惑通りであったといっていいだろう。いや思惑以上のマスコミや一般人の熱狂ぶりだったかもしれない。当時は日本中がなにか熱狂の渦に巻き込まれていたかのようであった。

(続く)