シンガポール通信−プレッシャーに押しつぶされた偶像:理研笹井氏の死に思う

8月4日に、STAP細胞問題の中心人物である理研笹井芳樹氏が自殺したというニュースが飛び込んで来た。私の方はちょうど今度立ち上げた会社のオフィスの整備で8月4日〜6日と東京にいたが、オフィス家具の搬入と設置、電話とインターネットの開設などでばたばたしており、ゆっくり新聞やネットのニュースを読む暇がなかった。シンガポールに戻って来てあらためて、ネット等でニュースを読んでいる所である。

笹井氏の自殺はショッキングなニュースではあるが、全く予想もできなかった衝撃的な事件であるというより、ある意味で起こりうる事件であったといってもいいのではないだろうか。

笹井氏は良い意味でも悪い意味でも今回のSTAP細胞事件の仕掛人であり、その全責任を負う立場の人であったから、それだけ周りからのプレッシャーが強かったのであろう。マスコミやネットではいろいろな意見が飛び交っているが、最後にはそのプレッシャーに押しつぶされて自殺に至ったというのが私の思う所である。

そしてそのプレシャーの多くは、STAP細胞発見を大ニュースだと言って騒ぎ立てたマスコミにあるのではないか。そしてマスコミは、STAP細胞の存在に疑いが提出されるやいなや、手のひらを返したように小保方氏に対してはネイチャー論文やさらにはそれ以前の氏の博士論文の不備で責め立て、笹井氏に対してはSTAP細胞問題の全責任を負うべき立場の人としてSTAP細胞の存在の有無を問いつめるという対応の仕方をして来たのではないか。

そのプレッシャーは極めて大きなものであるといえよう。その意味では笹井氏を自殺に追いやったプレッシャーをかけ続けたマスコミの責任は大きいのではないだろうか。今回の笹井氏の自殺のニュースが、それ以前の騒動からすると拍子抜けするくらい大騒ぎにならなかったのは、マスコミ自身も笹井氏を自殺に追いやった自分たちの責任を感じているからではないだろうか。(私はそれ以前の大騒ぎからすると号外でも出るのではないかと思ったほどである。)

STAP細胞事件は、当初はSTAP細胞を発見した小保方氏がずっと騒動の渦中にあったが、STAP細胞を発見したという事実(それは再現実験が成功していないため現在疑問視されているが)以降は、実際には笹井氏が仕組んだものだと言って良いだろう。

新聞等では、笹井氏の死によりSTAP細胞の真相解明が出来なくなったなどという記事を読むが、真相もなにもあったものではなくて、この事件そのものは極めて単純であるといっていいと私は思っている。

小保方氏は、共同研究者である山梨大若山教授からSTAP細胞の基となる細胞の提供を受ける等の協力関係はあったが、実際のSTAP細胞の作成実験そのものはほとんど本人が一人で行なって来たのではあるまいか。彼女のネイチャーに載った論文や博士課程論文がずさんな部分があった事がその後指摘されているが、どうも彼女は基本的には周りの指示を仰がずに一人で研究を行なうタイプの研究者なのであろう。

そのことが若い研究者にありがちな独りよがりの部分を生み出し、コピペ等の論文のずさんさにつながったのであろう。しかし反面それは、彼女が独力で研究を進める力を持っており、周りからも能力を認められて、一人で研究を進められるという立場にあったということを意味している。笹井氏もそのような小保方氏の能力を高く買って、彼女を異例ともいうべき方法で理研に採用し(この点に関しても後で笹井氏は特に理研内部で強く非難されているようである)、STAP細胞研究というiPS細胞に対抗すべき研究を独力で推進させたのであろう。

その証拠に、笹井氏自身も彼女の研究の実験部分には全くタッチしていないと言明している。したがって事は、小保方氏がSTAP細胞が出来たというビッグニュースをデータと共に笹井氏の所に持って来た所から始まったのであろう。

笹井氏は実際の実験には関わっていないのであるから、小保方氏が持って来たデータから彼女の実験の進め方の整合性とそしてその結果として得られたSTAP細胞の真実性を確信したのであろう。笹井氏は、36歳の若さで京都大学教授になったり多くの賞を受賞するなど、再生医学の分野の先端を走る研究者として知られている。その笹井氏がデータだけをベースとして検証したとはいえ、小保方氏の研究成果を真実であると認めたのであるから、彼女の研究成果はそれだけの真実性を持っていると言っていいだろう。

(続く)