シンガポール通信−ウイリアム・マクニール「戦争の世界史」2

イリアム・マクニール「戦争の世界史」において、1000年(11世紀初頭)から1500年(15世紀終わり)にかけて、中国が西洋に対して優位に立っていたことが述べられている。これはもちろん軍事面に焦点をあてているのであるが、当然の事ではあるが軍事における兵器や戦略・戦術がその時代の国家形態・経済状況・科学技術と深い関係を持っている。したがってこのことは、軍事面も含めてある程度広い範囲で11世紀初頭から15世紀の終わりまで東洋(具体的には中国)が西洋に対して優位に立っていたという事を主張している事になる。

「戦争の世界史」を読んでいると、イアン・モリスの「人類5万年 文明の興亡」を思い出した。後者の本では、西洋と東洋の優劣関係を社会発展指数という定量的な数字を導入する事により比較しようとしている。このブログでも書いたが、この本によれば6世紀半ばから18世紀半ばまでは東洋が西洋に対して優位に立っていたと主張している。

双方の間で数百年という開きはあるが、「戦争の世界史」が主張する東洋が西洋に対して優位に立っていた期間は、「人類5万年 文明の興亡」が主張する東洋が西洋に対して優位に立っていた期間はの中におさまる事になる。この2冊の本が主張する事を認めるならば、「6世紀半ばから18世紀半ばまでは社会全体の発展のレベルという観点からは東洋が西洋に対して優位に立っていた、そして特に軍事面に焦点を当てた場合には、その期間のうち11世紀初頭から15世紀の終わりまでは東洋が西洋に対して優位に立っていた」ということになる。

欧米人によって書かれたこれらの二冊の本がいずれも、「東洋が西洋に対して中世から近世にかけての五百年から千数数百年の間は優位に立っていた」と主張しているのである。これは驚くべき事ではないだろうか。わたしたち日本人はこのような見解を共有しているだろうか。少なくとも私はこれまで、有史以来西洋が東洋に対してずっと優位を保っていたと漠然と思っていた。

大半の日本人がそう思っているのではあるまいか。それは一つには、中学や高校の歴史の授業でそのような事は全く学んだ記憶がないからである。もっとも私は、歴史は年代の記憶だけを求められる科目と理解しており大嫌いな授業だったので、まじめに聞いた覚えがないのではあるが。かすかな記憶をたどってみると、中学や高校における歴史の授業というのは「日本史」と「世界史」に分かれており、日本史では徹底して日本の歴史を教えられ、世界史では古代の世界四大文明の発祥の頃を除けば基本的には西洋の歴史を教えられたと覚えている。

しかもいつ何がおこったかという歴史的事実の羅列を教えられるだけで、それがなぜ起こりその後の歴史にどうつながったのかという歴史の流れのようなものを教えてもらった記憶がない。もちろん教える側はそのような流れを教えようとしていたのだと思うが、身の回りのことに興味が集中している中学・高校の学生には、教師の教え方は表面的であり心の底まで届かなかったのではあるまいか。

また授業が日本史と世界史に分かれており世界史というのは実質的には西洋史であるという事は、中国を含めて東洋の歴史に関してはあまり学ばなかった事を意味している。さらにこの二つが厳然と分かれているという事は、日本を含め東洋と西洋の歴史の流れの中での比較というようなことは全く学ばなかったのではないか。実際にそのような事を学んだ記憶はない。
日本と西洋との関連で言えば、ポルトガル人による鉄砲の伝来、1613年の遣欧使、鎖国とオランダとの貿易、等の散発的な個別の出来事であった。そして幕末の黒船の来航と開国と明治維新以降は怒濤のような西洋文明の流入が始まりそれが現在につながっている。そしてその開国以来の日本の歴史は、イアン・モリスの「人類5万年 文明の興亡」の副題にあるように、特に科学文明においては西洋に支配されて来た歴史なのである。

日本のこれまでの海外との交流は中国との交易が中心であり、それは遣随使に始まり中国の王朝が変っても継続して行なわれた。そして仏教を始めとする日本の多くの文化が中国から流入した。その意味で日本は中国の文明の大きな影響を受けて来たのである。そして上にも述べたように、明治維新以来は西洋の文明が流入し日本は欧米の文明の大きな影響下にある。これが私達が海外との交流に関して持っている歴史観であろう。

日本も含めて東洋と西洋の文明比較というような歴史観は、私達が持ってこなかったものではないだろうか。そしてそれは、東洋と西洋の比較を取り扱った本を読むと、最近では欧米の研究者の間ではかなり共有されている興味のようなのである。そのような考え方を生んだのはジョゼフ・ニーダムの「中国の科学と文明」なのであろう。

しかし私達日本人の間ではジョゼフ・ニーデムはまだあまり知れれていないのではあるまいか。このことは「ジョゼフ・ニーダム」でgoogle検索しても、2990件しか検索結果が得られない事からもわかる。

(続く)