シンガポール通信—「アジア化する世界」はコミュニケーション以外の分野にも適用できるか?:2

なぜ科学技術の面で東洋は西洋に大きく遅れをとっているのかというのは、興味あるそして重要なテーマである。このブログでも何度か取りあげているけれども、とてもまだまだその表面をかじっているだけで、中身に切り込んでいるとは言えない。
私は振り返ってみるとここ半年ほどは、このテーマに関連する話題を取りあげた本を中心に読んでいるようである。いくつか代表的な本をあげてみると次のようになる。

ジャレド・ダイヤモンド「銃・病原菌・鉄」:この著書では、なぜ西洋人がニューギニアを征服し、逆にニューギニア人が西洋人を征服しなかったのかという素朴な疑問から出発している。さらに中米のアステカ帝国や南米のインカ帝国が銃を持った少数のスペインの軍隊によって征服された歴史へと話を展開する。そしてそれらの理由が、適度な緯度にあり東西に長い大陸において文明が発展しやすい(発明・発見の相互伝搬が容易におこるため)という地政学的な理由によるという仮説を提出している。

大変興味深い仮説であり、かなりの部分当たっていると言えるかもしれない。しかしこの仮説は、西洋対アメリカ大陸や西洋対アフリカ大陸などの場合には正しいであろうが、西洋対中国という関係を説明するのには適していない。なぜなら中国も東西に長い大陸という意味で西洋とつながっているからである。

そして西洋と中国はシルクロード等の交易路を通して古くから相互に情報の交換が行なわれて来たのである。さらには宋・元の時代を中心として15世紀頃まではむしろ中国の方が科学技術でも経済面でも西洋をしのいでいたという事実、そして16、7世紀以降西洋に追い抜かれて衰退して行ったという理由を十分に説明できない。

イアン・モリス「人類5万年 文明の興亡:なぜ西洋が世界を支配しているのか」:まさになぜ西洋が東洋に対して優位を占めているのかという疑問に対する答えを与えてくれる事を期待させる著書である。そしてその内容はまさに、中国を中心とした東洋と西ヨーロッパを中心とした西洋を対比し、数万年という長い歴史を通していずれが優位にあったかという事を論じている本である。

この本では「社会発展指数」という定量的な評価基準を導入する事により、西洋と東洋の文明の発展度が歴史のそれぞれの時点でどのような関係にあったのかを示そうとしている。それによると6世紀半ば(西ローマ帝国の滅亡後しばらくたってから)東洋が西洋に対して優位に立ちそれがしばらく続いたが西洋における大航海時代の始まりと共に再び西洋が東洋に追いつき始め18世紀半ばに再び西洋が優位に立ち、それが現在まで続いているのだと結論付けている。

この著書は東洋と西洋の比較というまさに私が興味を持っている問題に焦点を当て、しかも「社会発展指数」という定量的な評価基準を導入する事により、東洋と西洋のいずれが優位に立っているかという問題を直裁的に述べている。そのいみでは確かに私の疑問に対しては定量的なデータは与えてくれてはいる。その意味で私はこの本を取った時にすでに私の疑問に対しては答えが出ているのかという印象を持ったものである。

しかしながら、この著書も東洋と西洋の優位性の比較を長い歴史の中で定量的に行なうという大変興味深いテーマを扱いながら、なぜそうなのか、なぜそれが生じたのかという疑問には答えてくれない。イアン・モリスは歴史学者であり、各時代において西洋と中国において何がおこったかは丁寧に記述してくれている。しかしそれは、あくまでもおこった事を整理して記述しているのに過ぎない。

これが歴史学者の方法論なのだろうという事はよくわかるのであるが、事実の記述だけでは「なぜおこったのか」という疑問には答えるには不足なのである。これがこの著書が大変興味深いアプローチを取りながら、結局の所事実の羅列の記述にとどまっており、その分面白さに欠ける理由なのだろう。

他方で先に述べたジャレド・ダイヤモンド「銃・病原菌・鉄」では、似たような緯度にあり東西に長い大陸にある地域では、それらの地域にある複数の文明の間で情報の伝搬がおこりやすく情報が共有されやすいので、独立して発展した文明に比較して文明が発達しやすいという仮説を提案している。あくまで仮説とはいえ、大変説得力のある仮説であり、そのために「銃・病原菌・鉄」の方が読んでいてスリリングな感覚を与える。