シンガポール通信−「アジア化する世界」はコミュニケーション以外の分野にも適用できるか?

コミュニケーションやコミュニケーションの歴史を、東洋と西洋の関係の中で考えるということを、シンガポールに住むようになってからのここ4、5年間行って来た。その最初の成果はこのブログでも紹介したように4月に、「アジア化する世界」というタイトルの本として出版した。

この本では、東洋対西洋の対比の最初の段階を、プラトンに代表されるギリシャ哲学と孔子に代表される中国哲学の対比という形で考えた。そのことにより、西洋ではプラトンの時代に理性と感情の分離と理性の感情に対する優位性が宣言され、それ以降の西洋哲学はもとより西洋の思考様式・行動様式を決定して来たということを私なりに導きだした。

同時に儒学を代表哲学とする東洋においては、理性対感情という対比は生じてこず、個人対自然、個人対国家という関係の中で個人がどう振る舞うべきかという、いわば道徳論が中心に論じられて来たというのが私の理解である。

当然、このような東洋と西洋の基本的な考え方の相違は、人々の日常生活の中での考え方・行動を律して来ただろうし、それが現在の東洋と西洋の違いにつながっているのであろう。さらにそれに加え私が考えてきたのは、現在大きく変化しつつある人々のコミュニケーションにおける行動様式と、この東洋対西洋の対比とがどう関係しているかという事である。

これに関しての論議が「アジア化する世界」の中心テーマである。そこで私が論じたのは、西洋における論理と感情の分離が、19世紀の電話と映画の発明(マクルーハン流に言うと「電気の時代の到来」)により逆流を始め、論理と感情が一体化しつつあるのではないかということである。そしてこれこそが、現在欧米を中心に世界中の人々のコミュニケーションにおける行動様式の変化を生んでいるのだというのが、私が主張したかった事である。

もちろん私は歴史や哲学の専門家ではなくてコミュニケーション分野の研究者であるから、これらの仮説は十分な量の文献や著書を読んだ上で導きだしたものではない。私がシンガポールに来てから毎週末に読んで来た少量の著書と、私のコミュニケーション研究の経験に基づいた私の直感とでもいえるものに基づいている。

現在私がもっとも行いたいと思っているのは、このような考え方を欧米の(特にギリシャ哲学の流れを引き継いでいるヨーロッパの)人達と議論して、彼等の考え方・見方も導入したより一般的な考え方へと変えて行く事である。それも歴史の専門家というよりは私のようなコミュニケーションやメディアの分野の研究者で、歴史や哲学などにも興味を持った広い見方が出来る人との議論が望ましい。歴史・人類学・哲学などの専門家から見ると、私の考え方は十分な文献・著書に基づいた物ではなくて直感にもとづいたもので、とても理論とは言えないということになろう。たしかにそのとおりなのであるが、コミュニケーションやコミュニケーションメディアの歴史という分野はまだ成熟した分野ではなく、私が「アジア化する世界」の中で行ったようないわば乱暴な論理の進め方も許されるのではないかと思っている。

幸い、今年の8月から9月にかけて長年の知り合いであるオランダ、アイントホーベンにあるアイントホーベン工科大学のラウターバーグ教授から、一ヶ月ほど客員教授として来ないかと誘いを受けているので、いい機会かと思っている。彼の学科は新しいメディアのデザインを研究する学科であり、上のような議論をするのに適しているかどうかという懸念もあるが、そこはヨーロッパ、たとえデザイン関係の学科であってもそこの先生方は哲学的な議論が好きである。

ラウターバーグ教授自身も本来の専門は心理学であるが、その分野からコミュニケーション技術の分野に興味を持ちさらにはデザインの分野にも興味を持ち現在の学科に所属している。コミュニケーションの現在を東洋と西洋の哲学の関係から始まっていろいろと議論できるのではないかと期待している。

そしてそれと同時に私が興味を持ち出したのは、中国を中心として東洋における科学技術の歴史を西洋と対比して考える事である。科学技術の歴史は、単に一握りの科学者・技術者によって決められて来たのではない。その時代の人々の考え方や行動の仕方が、その時代の科学技術の動向に大きく影響し、そしてそれが科学技術の歴史を作って来たのではないかと私は考えている。

それはコミュニケーション技術という、科学技術のごく一部の技術の歴史を私が考えて来た中で生まれた考え方である。よく知られているように科学技術の分野では、ここ数世紀は欧米がそれ以外の国々に対して絶対的な優位性を占めて来た。特に近代科学が西洋で生まれ、産業革命によってそれに基づいた多くの新しい技術が西洋で生まれて来たのに対して、残念ながら東洋ではある時期から西洋の後塵を拝するようになって来ている。

私が現在持っている素朴な疑問は、それはなぜ起こったのか、そして今後はどうなるのかということである。近代科学が興る以前は東洋と西洋の科学技術のレベルはどうだったのか、そしてなぜ近代科学が西洋で興り東洋では興らなかったのか。もちろんこれは中東をも含めて考える必要があるかもしれない。かって中東においてはイスラム科学が栄え、世界最高水準であったといわれている。それも西洋における近代科学の勃興と共に衰退した。これはなぜだろうという疑問である。

(続く)