シンガポール通信−ジョゼフ・ニーダム「中国の科学と文明」5

西洋における大航海時代は何をめざしたものだったのだろうかという疑問を前回提示した。

西洋の大航海時代は、たしかに当初はポルトガルエンリケ航海王子に主導された純粋に知識欲・冒険欲を満足させるものであったかもしれないが、すぐにその本質をあらわにした。大航海時代に西洋の人々を新たな航海に駆り立てたものは、新たに発見された土地を植民地化し、その土地から得られる食物・鉱物などの生産物を独占しようという征服欲・物欲であったのである。

そのことは、1492年にコロンブスによってアメリカ大陸が発見されるやいなやスペイン人が大挙アメリカ大陸に押し寄せ、1521年のコルテスによるアステカ王国征服、1533年のピサロによる南アメリカインカ帝国征服などの出来事が起こった事からもわかるように、アメリカ大陸の先住民を虐殺してアメリカ大陸の多くの部分を植民地化してしまったという事実が示している。

またアジアに関して言えば、1498年にガマによるインド到達に続いて多くのポルトガルに人がインド・東南アジアに押し寄せ、これらの国々の主立った都市を攻略し自国の支配下におくことに成功している。つまり1500年頃というのは、西洋世界が世界全体の地理を把握すると共に、世界全体を西洋の植民地にしよう、いいかえれば世界全体を我が物にしようとする征服欲・物欲にかられて行動する時代の始まりであったのである。

これらの植民地化された国々のうち中南米の国々は1800年代の半ばには独立を達成している。しかしその他の多くの植民地となった国々が独立を果たすのは、第二次世界大戦後の事である。このことは、1500年代から2000年代の半ばまで、つまりほぼ500年の間世界は西洋の植民地化にあったといってもいいのではなかろうか。

つまり大航海時代を経て、全世界は西洋の国々の植民地となった。そしてそれは第二次世界大戦の終了後まで続いたという見方が出来ないだろうか。植民地の統治の仕方は基本的には「搾取」である。そのような状況では、植民地となった国々で本国に勝る科学技術的な成果が出る事は期待できない。

そして16世紀に西洋による全世界の植民地化が完了し、それにつづいて18世紀には西洋で産業革命が生じる。一方、植民地化された国々では当然の事ではあるが、産業革命が生じる事は期待できない。そして西洋の東洋に対する優位性が確立したのではあるまいか。極めて単純な図式ではあるが、このような解釈の仕方が、現在西洋が東洋を含め世界を支配している理由なのではないだろうか。

もちろん全世界の国々が西洋諸国の植民地になったわけではない。中国・日本は植民地化されなかったごく一握りの国々の一つである。ではなぜ植民地化されなかったか。もちろんそれは、中国・日本ともに中央集権化された政府が国全体を統治しており、外国の進出を受けにくい状況になっていた事が理由として挙げられるだろう。と同時に、このような世界情勢を知っていたのかどうかは別にして、海禁政策(中国)、鎖国政策(日本)という海外との貿易・交流を行わずに国を外に対して閉じるという政策を取った事が大きく影響している事は間違いないだろう。とするならば鎖国政策を取っていなかったら日本はどうなっていたのだろう。

前にこのブログで和辻哲郎の「鎖国」を取り上げた事がある。彼によれば当時の日本人は進取精神に富んでおり、海外への進出精神も盛んであった。東南アジアには多くの日本人街があり活気に富んでいた。さらに国内では、1543年に伝来した鉄砲を改良し国内での生産を始め、この時期には鉄砲の保有台数では世界の他の国々に勝っていたということである。

いわば日本は、国内経済も発達し、海外へ進出する準備もでき、社会の発展や科学技術の発展において西洋の国々と覇を争える状態にあったのである。それがキリスト教の普及の勢いに恐れをなした豊臣秀吉徳川家康が宣教師追放例を出し最終的には1635年に鎖国を決定する事となる。

和辻哲郎によれば、鎖国をする事により当時の日本人が持っていたグローバル精神が失われ、日本人は内向きの性格となったのだという。そしてそれは明治の開国によっても完全には回復せず、結局第二次世界大戦で欧米の列強を相手に非合理的な戦いを行い、その結果として壊滅的な敗北へとつながったのだという。もし鎖国を行わなかったら、日本人は西洋の列強に伍して早くから近代の科学技術に目覚め、西洋と世界で伍して政治・貿易などで戦って行ける国になったであろうと和辻哲郎は予測している。

はたしてそうであろうか。和辻哲郎の考えは当時の西洋の東洋・アフリカ・アメリカへの進出は貿易拡大という基本的には平和主義の基に行われたという仮定の上に立っている。しかし実際には西洋の世界進出は領土拡大という覇権主義の基に行われたのである。そしてその実行のためには、アステカ王国征服・インか王国征服の事例にも見られるように先住民の虐殺をもいとわなかった。

はたして中国・日本が鎖国主義を取らなかったらどうなっていたであろうか。歴史に「もしも」はないといわれているが、このような見方から16世紀以降の歴史を考えてみるのも興味深いのではないか。