シンガポール通信−ジョゼフ・ニーダム「中国の科学と文明」3

西洋が東洋(特に中国)に対して科学技術の面で優位に立っている事に対する理由を前回2つ説明したが、それ以外にも以下のようなものが考えられる。

3.儒教以外にも仏教・老荘思想などの東洋の基本思想が、科学技術の進歩と相反する考え方となっている

儒教思想が個人よりも国家などの集団を重要視する思想を提供し、それが中国の統一国家がいずれも極めて強い中央政権国家となることの思想的基礎を提供し、そのために個人の活動に重きをおく科学技術の発展と相反する面を持っている事を前回述べた。しかしそれ以外にも、中国始め東洋には仏教や老荘思想などの思想がある。

仏教は「盛者必衰」「無常」などの考え方を持っており、科学技術の進展の基本となる「進歩」という考え方と相反する考え方を提供する。また老荘思想は、人間とそれらを取り巻く自然との一体感を強調する。これは人間と自然とを別のものもしくは相対するものとし、自然環境を制御する手段として科学技術の発明・発見を用いようとする考え方と相反する。

またいずれの思想も「富」「金」に重きを置かないため、経済活動と結びつきにくい。科学技術の発展は経済活動の発展の表裏一体の関係にあるため、このような仏教や老荘思想の考え方は科学技術の発展とは相反する考え方となるのである。荘子の中に、孔子の弟子がある日井戸から人力で水をくみ出している老人を見て「はねつるべ」を使えば仕事が楽になると教えてやった所、その老人は「機械を使って仕事を楽にする事は自然の理に反する」と言ったという記述があるが、これなどは正に老荘思想と科学技術の関係をよく示している。

しかしもともと宗教や哲学思想というものはそういうものであり、キリスト教にしても似たような考え方を持っているではないかと言われると、その通りである。仏教や老荘思想が東洋で広く人々に受け入れられている事だけでは、中国での科学技術の発展がある時期を境に停滞に転じた事の十分な説明にはならない。

西洋では、ローマ帝国におけるキリスト教の国教化以降、キリスト教の力が強く人々の日常生活を縛って来た。そのことが、逆にキリスト教的考え方からいかにして脱するかという相克を人々の心の中に生み、哲学の面では1600年代始めのデカルト以来の西洋哲学の流れにつながって来たとも考えられる。

4.論理を積み上げていくという西洋的な考え方・議論の進め方に東洋の人間は慣れていない

西洋がプラトンの時代から論理的考え方を人間特有の能力としそれを育てて行く事が最も重要な事であるとしたのに対し、中国を始め東洋では論理的な考え方と感性的もしくは感覚的考え方が分離されてこなかった。そのためいわゆる論理を積み重ねて行ってある考え方に到達するという考え方をせずに一挙に結論に直感的に到達するという考え方を重視した。禅における「悟り」へ到達するプロセスは正にその典型例である。

もちろん全く東洋人が論理的考え方をしないというのではない。論理を積み重ねて行くという考え方が苦手だと言った方がいいだろうか。そのためアイディアそのものの出方、すなわち発明の一つ一つに関しては西洋人と東洋人の差は少ないだろう。いやむしろ東洋人の方がアイディアの出し方では優れているかもしれない。

しかし複数のアイディアを組み合わせて複雑なシステムを作るという作業には向いていないかもしれない。本来科学技術とくに技術の発展においては、先駆者の成果の上に自分の成果を積み上げそれを多くの技術者が繰り返す事により、技術が一歩一歩進んで行くという側面がある。特に近代の科学技術は、単純なアイディアだけというより、それを基に他のアイディアを加えたり個々のアイディアを改良して行ったりというプロセスを経て、進んで行くという側面を持っている。東洋人の考え方がこのような近代科学技術の進め方にマッチしていないという考え方は出来る。

しかしまさに技術的発明を改良し細部を精緻化していくことは日本人の得意とする所ではないか。韓国や台湾・中国でも最近では車やスマートフォンなどの技術分野で基本技術の改良技術の優秀さを見せ始めている。したがって技術的改良を積み上げて行くという事に対しては、東洋が遅れていたのは産業革命から20世紀半ばまでであるといってもいいのではないか。

むしろ技術の進歩には手先の器用さや技術の細かい改良などが有効であり、これは東洋人が本来は得意とする分野である。したがって、20世紀後半以降はむしろこの分野では東洋が西洋に対する優位性を発揮し始めているといえるのかもしれない。

(続く)