シンガポール通信−イアン・モリス「人類5万年 文明の興亡」5

イアン・モリスの「人類5万年 文明の興亡」では、「社会発展指数」という定量的指数を持ち込むことによって、西洋と東洋の社会の発展の程度を直接比較する事を、紀元前14000年前から現在に至るまで行なおうという試みをしていることを前回述べた。

社会発展指数を用いると、人類の文明が始まってからずっと西洋が東洋に対して優位を占めていたことをイアン・モリスは述べている。それが西ローマ帝国の滅亡(476年)に伴い西洋社会の衰退が始まることにより、6世紀半ばに東洋が西洋を追い抜いたと述べている。その後しばらく東洋の西洋に対する優位が続く。

しかしながら、15世紀の西洋における大航海時代の開始と共に、西洋が再び復活を始める。そして18世紀半ばに起こった西洋における産業革命が西洋社会の急速な発展を促し、18世紀後半に西洋が再び東洋を追い抜く。そしてその結果生じた西洋の優位性が現在まで続いているというのである。

この主張そのものは大変明快で理解しやすい。なによりもまず、大半の人々特に西洋の人々は文明の開始以来ずっと西洋が東洋に対して(そして東洋も含めた全世界に対して)優位を占めていたと考えていたであろう。そのようないわば常識を崩しているところにある。6世紀半ばから18世紀半ばまで、東洋社会が西洋社会に比較してより発達した状態にあったというのは、私にとっては新しい考え方であって、大変興味深くこの本を読んだ。

さて、まだまだいろいろとこの本について論じる事はあるのだけれども、あまり細かい事を論じてみても仕方がないだろう。むしろ、6世紀半ばから18世紀半ばまで西洋に対して優位にあった東洋社会の発展がその後停滞し、一方西洋では産業革命以降急激に社会が発展したというこの違いは何処で生まれたのかという点に焦点をあててこの本以外の本も読みながら、西洋対東洋という課題を特にコミュニケーションの立場から考えて行きたい。

さて最後にこの本の欠点について述べておこう。大変興味深く楽しく読める本であるが、読み終わるとやはりいくつか疑問点が出て来る。そのうちの大きな疑問点をあげておこう。

まず第一の疑問点は、この本の原題である「なぜ西洋が世界を支配しているのか」という疑問に、この本は答えてくれているだろうかという事である。先に答えを言ってしまうと、私は著者はこの疑問に正面から答えようとしてはいないのではないかと思う。

著者であるイアン・モリスは歴史学者で、スタンフォード大学歴史学の教授をしている。歴史学というのは、現在に残された過去の文献・遺跡などの遺物から過去の歴史を明らかにしようという学問である。しかしそれが厳密な学問であるが故に、残されている事実から過去の出来事を明らかにするという仕事の進め方になりがちであり、憶測とか推測とかを行う事が嫌われる。

この本でも、著者は彼の豊富な歴史学者としての過去に関する知識に基づいて、紀元前14000年から現在までの歴史を西洋と東洋と比較しながらいわば淡々と記述している。

しかしながらそのような記述方法をとっているため、この本のタイトルである「なぜ西洋が世界を支配しているのか」というタイトルの「なぜ」には、直接の答えを提示していないのである。歴史学者であるが故に事実の提示のみを行うにとどめ、「なぜ」に対する答えは読者が自分で考えてほしいというのが、著者の立場かもしれない。しかし読んでいる方からすると、やはり直接の答えが提示されないというのは不満を感じるものである。

もう一つの疑問点は東洋と西洋の定義に関するものである。この本で東洋という時、それは現在の中国を中心にしてそのごく近隣の地域を含めたものである。中国では黄河・長江を中心として紀元前6000年頃から文明が発達し始めた。その後中国では中国全土を支配する帝国が次々に起こったが、それらの帝国の位置はほぼ現在の中国の位置に相当する。したがって東洋という時、近年では周辺の諸国である、日本・韓国や東南アジアの国々を含めるものの、その中心となる中国の位置はほぼ変わっていない。その意味で東洋というのは地理的にほぼ固定された概念である。

ところが西洋は少なくともイアン・モリスのこの本によれば地理的には固定されたものではない。この本によれば西洋文明の発祥はチグリス・ユーフラテス両河に挟まれた地域で紀元前900年〜7000年頃に始まった古代メソポタミア文明である。その後アレクサンダー大王の東征などに伴い、文明の中心はギリシャの方へ移り、ヘレニズム文化の時代となる。

さらにローマ帝国がヨーロッパの主な地域を征服すると共に、その中心はイタリアへと移る。そしてローマ帝国の滅亡と共に文明の中心はペルシャへと移る。さらには十字軍の後ペルシャが衰退すると共に、文明の中心は西ヨーロッパへと移る。そして産業革命と共に西ヨーロッパが世界の中心となる。さらに第一次・第二次世界大戦を経て米国が世界の中心となり、現在西洋というときそれは西ヨーロッパと米国を加えたいわゆる欧米の事をさしている。

これが意味しているのは、西洋とは地理的に一定の場所をさしているのではなくて、時代と共にその中心地がメソポタミア地方から西へ西へと移動しているという事である。このような西洋の捉え方は正しいであろうか。どうも私はここに西洋の自己中心的な考え方が見えるような気がする。