シンガポール通信−イアン・モリス「人類5万年 文明の興亡」2

人々のコミュニケーションの仕方もしくはコミュニケーション行為を論じる時に、私は最近、東洋対西洋という視点から考えるようになった。これは私がシンガポールに移ったから持てるようになった視点だろう。日本に住んでいたら多分、日本対それ以外の国という見方にとどまっていたのではあるまいか。その意味ではシンガポールに移住した事にそれなりの意味はあったと考えている。

そして東洋対西洋という視点から考えた時に、西洋の人々のコミュニケーションの仕方が私たち東洋人のそれに近づいて来ているのではないかというのが、今回私が出版した「アジア化する世界」の基本的な視点である。もちろん私はコミュニケーション技術の分野の人間なので、この本では基本的には「アジア化する世界」というのは、コミュニケーション行為から見た場合という意味であって、それ以外の分野での人々の行為までは私には論じるだけの論拠は現時点では持っていない。

しかしながらこの「アジア化する世界」という視点は、コミュニケーション行為以外の分野にも拡大できるのではないかと私は考えている。次の本の内容としてはぜひそのようなものに取り組みたいと考えている。その意味で、いろいろな物事特に人々の考え方・行為などを東洋対西洋という観点から今後も考えて行きたいというのが私の希望である。

したがって、東洋対西洋という観点から書かれている本に最近は大変興味がある。その意味でこのイアン・モリス「人類5万年 文明の興亡」という本は私の読みたいと思っていた本である。正にこの本は世界を西洋と東洋に分けて考え、かって私たち全世界に住んでいる人類の共通の祖先が5万年前にアフリカを出てから以降の文明の発展を西洋と東洋の比較と言う観点から論じている本なのである。

もっともこの翻訳タイトルは、少々問題があるのではないだろうか。原題は「Why the West Rules….For Now」である。直訳すると「なぜ西洋が支配しているのか、少なくとも現在の所は」であって、上に述べたように西洋対東洋という観点から長い歴史の流れの中で、いかにして西洋が支配的な地位につくようになったかを論じており、それを正直にタイトルにしている。

ところが翻訳されたタイトルの「人類5万年 文明の興亡」は内容を性格に把握しているタイトルとは言えない。似たようなタイトルの本として、ジャレド・ダイヤモンド「文明崩壊」(草思社)があるが、こちらは文字通り長い人類の歴史の中で多くの文明が起こりそして滅びて行ったが、文明が滅びるのはどのような条件によるものなのかを論じており、タイトル通りの内容の本である。

それに対して「人類5万年 文明の興亡」は決して特定の文明がなぜ起こりなぜ滅びて行ったかを論じている本ではない。あくまで西洋対東洋という観点から人類の長い歴史の流れを見てそれがどのように全体として発展して行ったか、そして歴史のそれぞれの時点で西洋と東洋のいずれが優位にあったかを論じているのである。その意味では原題通り「なぜ西洋が支配しているのか」というタイトルで良かったのではないだろうか。それとも、このような直接的かつ刺激的タイトルより、より一般的な「文明の興亡」のようなタイトルの方が日本人に受けるのだろうか。

この本で大変興味深いのは、西洋と東洋を比較する際に「社会発展指数」という定量的指数を導入していることである。そして、社会発展指数の西洋と東洋における時代変化を見ると共に、各時代において西洋と東洋における社会発展指数を比較している。このような定量的手法により、時代と共に西洋と東洋でどのように社会が発展して来たか、さらにはそれぞれの時代で西洋と東洋のいずれが優位にあったかを論じている点が大変興味深い。

著者のイアン・モリスは歴史学者スタンフォード大学の教授である。歴史学というのは歴史を定性的観点から記述して行くものと私は考えて来たので、定量的指数を導入する事によりと西洋と東洋の歴史を比較しようとする彼の方法論は大変興味深くかつ刺激的であった。

イアン・モリスは社会発展指数を「エネルギー獲得量」「組織化・都市化」「戦争遂行能力」そして「情報技術」という4つの指数に分け、これらの指数それぞれに関し西洋、東洋の各々で各時代ごとに数値を出し、それらを統合する事によって各時代の西洋と東洋の各々における社会発展指数を産出するという手法をとっている。極めて理系的な手法であり、私のような理系人間からしてもなるほどとうなずかせる点があり、高く評価できる。

もっともこれらの4つの指標を算出する際には、歴史の各段階での関連する要素を考慮して行う訳であるが、現在入手できる歴史的な遺産が限定されている事またそれらの多くが定量的なデータではないことから、算出過程には定量的なものが入って来ざるを得ない。いいかえれば著者の胸三寸で決まる部分がある事も否めないだろう。

当然著者のイアン・モリスもその事は意識しており、巻末の補随でこのような進め方に対して以下のような反論がされる事を予測している。

(1) 定量的な指数に依存する事は生身の人間の活動を無視している。
(2) 社会が物事を成し遂げる能力である社会発展指数は社会を比較する指数としては適切ではない。
(3) 社会発展指数を構成している4つの指数は適切ではない。
(4) 4つの指数の数値を算出する過程が適切ではない。

そしてこれらの反論のそれぞれに対して説明を与えている。

(続く)