シンガポール通信−室生犀星「ふるさとは遠きにありて思ふもの」

5月ももう下旬に入ろうとしている。4月・5月はシンガポールと日本をほぼ半々の生活を送ってなかなかブログの更新を行う暇がなかった。同時に2カ所を本拠地にしてそれぞれで時間の半分を過ごすという生活もなかなか大変であるというのが正直な感想である。具体的に言うと、半々だとどちらが本拠地なのかがわからないという生活になりがちである。

シンガポールを生活の拠点としている場合は、日本への帰国はあくまで旅行という感覚で過ごす事が出来た。そしてシンガポール航空の飛行機がシンガポールチャンギ空港に着陸した時の「For Singaporeans and Singapore residents, welcome home(シンガポール人のかたおよびシンガポールにお住まいの方、お帰りなさい)」というアナウンスでホッとしたものであるし、タクシーに乗って空港からの帰路の周囲の風景を眺めていると、「帰って来たな」という感覚を持ったものである。

ところが、シンガポールと日本での滞在が半々になると、このような感覚を持ちにくい。シンガポールに着いても「帰って来たな」という感覚を持ちにくいのである。もちろん、シンガポールと日本の2カ所に拠点を持っているわけだから、どちらに着いても「帰って来たな」という感覚を持っていいはずであるし、事実そのような感覚を持たない訳ではないけれども、いかにもそのような感覚が希薄なのである。それは逆に言うと根無し草のような感覚を持つということでもある。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

これは有名な室生犀星のうたである。彼は石川県金沢の生まれで21歳の時に東京に出た。そそして貧窮の中で詩作を続けたといわれている。この歌は彼が東京という異境にいて故郷の金沢を思ってうたったものであろう。彼の場合は明確に金沢という故郷があり、東京という異境でこの歌を作ったのである。

しかし多くの人はこの故郷の喪失感という感覚を持たないのではあるまいか。交通手段の発達で日本国内であれば半日もあればほぼ全ての所へ行く事が出来る。そのことはその気になれば故郷へも半日もあれば帰る事が出来るのである。ふるさとに対する喪失感というのは持ちにくいとしても無理はないだろう。

手前勝手な言い方になるが、むしろ2カ所に住居を持ちその間を行ったり来たりという生活の方が、「私の故郷は何処だろう」という故郷に対する喪失感のような感覚を持つのではないだろうか。元々私は父の勤務の関係で数年ごとに転々と住む所を変えるという生活をしていたこともあり、故郷に対する喪失感を感じる事が多かった。そのためこの室生犀星のうたは私の好きな歌の一つであるが、最近シンガポールと日本を往復する生活を行うようになってから、このうたに対する愛着がますます湧いて来たような気がする。

このような感覚は、シンガポールに住むようになって持つようになった感覚の一つである。そしてもう一つ持つようになった感覚もしくは態度というのがある。それは、それまでは日本対それ以外という観点から物事を解釈しようとしていたのに対し、シンガポールに移ってからは、アジア対それ以外、もう少し範囲を狭めるとアジア対欧米という観点から物事を解釈しようという姿勢を持つようになった事である。

そのような観点から考えて来た事が今回出版した「アジア化する世界」の中にまとめられている。そしてこの先私が考えて行きたいのは、この考え方を延長して行く事である。アジア人と欧米人の物事に対する考え方には基本的な差異があるのかどうか、もしあるとすればそれはなぜいつごろ生じたのか、そしてそれは現在のアジアと欧米の人々の日々の考え方・行動の仕方をどのような形で律しているのか、そしてそれは将来はどうなって行くのだろうか。

これらが現在私が興味を持っている問いであり、今後考えて行きたいテーマでもある。