シンガポール通信−スマートフォンのガラケーに対する優位性は何だろう3

前回直感的インタフェースの意味する所を、既に私たちの日常生活で実現されている使いやすく易しい操作法だけではなくて、現時点では実現されていなくても、私たちが本来持っている感覚や感性に合致している操作法の事であると述べた。そしてまたそれは別の言い方をすると、私たちの体の奥底に眠っておりまだ呼び覚まされていない、生物としての本性に基づいた感覚に合致した操作法と言えるのではないかとも述べた。

このような言い方は、少し言い過ぎであると感じる人も多いだろう。私たちの体の中に、日常生活で感じる感覚以外にまだ生物としての本性に基づいた感覚が眠っているという言い方は、なかなか受け入れられないものかもしれない。

しかしこのような言い方をしないと、説明できない事が多いのではあるまいか。かなり古い例になるが、かってバンダイが商品化した「たまごっち」というキャラクタ育成タイプのゲームが世界中で大ヒットした事がある。日本はいうにおよばず欧米でも大ヒットし、デンマークかドイツの小学校で子供達が授業中にそれで遊ぶため、学校に持ってくるのを禁止したというニュースが流れた事があった。

キャラクタ育成型のゲームというのはそれまでも存在した。それではなぜそれらの中でたまごっちだけが世界的な大ヒットをしたのかという事実を説明する事は難しい。しいて理由づけするならば、たまごっちが持っていた人間とのインタラクションのやり方の何かが、私たちの奥底にあるコミュニケーション本能の神髄に触れたのではあるまいかという言い方をせざるをえない。

私はその一つが、たまごっちが空腹になるとピーピーという電子音を出して餌をくれという要求をする機能にあるのではと思っている。それまでのキャラクタは基本的には、ユーザの働きかけ(インタラクション)があって始めてそれに応じて反応(これもインタラクションといえる)するものが多かった。こちらからの働きかけが無い限りキャラクタは何もしないというのが、それまでのキャラクタの設計法の基本だったのである。

それがたまごっちは「何もしないと要求して来る」という反対の行動論理をとるのである。そしてそれは考えてみれば、生物の本質的な行動論理の一つではあるまいか。後で理由付けすれば、このような説明ができるだろう。しかしこの手の事はなかなか事前に予測する事は困難である。

他にもTwitterFacebookが出現する事によって、それらを使ったコミュニケーションがあっという間に世界中で広がったという事もあげられるだろう。これも事前に予測する事は困難である。特にTwitterのような一般の人による放送型もしくは情報発信型のメディアはそれまでなかっただけに、それがこれほど広く普及するとは誰も予想できなかったのではないか。

私自身もTwitterが出現する前に、このようなメディアの基本的なコンセプトを聞き、それが普及するかどうかと問われたら、「情報発信は一般の人々が誰でも出来るという事ではないから、この手のメディアはそれほど普及しないのではないか」と答えたのではあるまいか。また発信できる文字数が140文字に制限されていることも、このメディアの普及を妨げると予想したのではあるまいか。そしてこれは多分大多数の人達がそのように考え答えたと思われる。

ところが、Twitterはそれが出現するやたちまち多くの人を惹き付け、現在では全世界で2億人を超すユーザが日々Twitterで発信していると言われている。もちろん自分の主張を短いメッセージで発信するという使い方が一つの使い方であるが、それと同時に昼食を食べているとか、どこかの駅に着いたとか日常の自分のなにげない行為をTwitterで発信するという使い方もされている。このような使い方がされるということは事前には予測困難なのではないだろうか。

しかし考えてみれば、私たちの日常の会話でも私たちが日常で行う何気ない行為の情報を交換し合っている。したがってTwitterで人々が行っているのは、これまで日常生活で親しい家族や友人に対して行っていた情報の発信を多くの人を対象にして放送形式で発信しているという事なのである。これをもって、Twitterが実現したのはそれまで全くなかった情報発信の方法だと言うこともできるだろう。しかし最近の人類学の研究が示すように、私たち地球上に現在生存している人類は、約5万年前にアフリカを出た高々100人のグループがその後世界中に広がったその結果なのである。つまり全世界中の人類は本来みな同じグループに属する仲間なのである。

ということは、私たちがごく小さいグループの中で行っていた情報の発信を、Twitterは全世界を対象として行う事を可能にしたといえるのではなかろうか。そして上に述べたように全世界の人達が全て仲間であるならば、結局Twitterは私たちが仲間に対して行ってきた情報発信をそのまま世界規模に拡大してくれたメディアなのである。

つまり仲間に私たち自身の日常の何気ない行動に関する情報を伝えたいという人間の基本的な欲求を私たちは持っているが、それを全世界の仲間と共有したいという欲求は、それまでは実現する手段がなかったため私たちの中で眠っていたのである。それをTwitterが可能にしてくれた、そしてそれがTwitterがこれほど急速に普及した理由ではあるまいか。