シンガポール通信−スマートフォンのガラケーに対する優位性は何だろう

スマートフォンの出現により、全世界の人々の間で携帯電話を使ってメールを送受するという行為が一般化した事を述べた。そしてそれが、欧米を含めた全世界の人々の行為がアジア人的になりつつあるという、私の著書「アジア化する世界」における基本的な主張につながっているということも述べた。

「アジア化する世界」では、その動きは実は100年以上前(具体的にはこれは映画と電話の発明を意味しているというのが私の意見)に始まっていたということを指摘した。しかしそれは最近まではあまり顕在化する事はなかった。それが世界がアジア化しているというある意味で刺激的な主張が、それまであまり聞かれなかった理由ではないだろうか。それではなぜスマートフォンの出現によりその傾向が急速に進んだのだろう。

アップルのiPhoneをもって、従来の携帯電話に対して「スマートフォン」という電話とPCを融合した機器が出現したといわれている。しかし先に述べたように、日本のiモードなどのインターネット接続機能を有する従来型携帯電話(いわゆるガラケー)やアルファベットキーを備えこれもまたインターネット接続機能を有するBlackBerryiPhoneとは実は機能的には同じと考えていい。

では何が違うのでiPhoneが普及したのか。それは機械的キーパッドを排して大画面のディスプレイだけからなるシンプルな機器の外観デザインが受けた事、されにそれに加えてタッチインタフェースという新しいインタフェースを搭載している事によるだろう。

それまでは入力は基本的にはキーを押すという行為によって実行された。それがタッチインタフェースでは指による軽いタッチや指を滑らすという行為に置き換えられたのである。単にそれだけのことである。技術屋ならば、事前に従来型のキー入力とこのタッチインタフェースを頭の中で比較しても「機能的に同じではないか、それならキー入力のほうが確実な入力が出来るのではないか」と考えただろう。私自身も多分タッチインタフェースが普及するまではそのように考えていたと思う。ところがそれが大違いなのである。

タッチインタフェースには、一本指で入力を行うシングルタッチと二本指で行うマルチタッチがある。シングルタッチにはキーインに相当するタップ(指で軽く画面にタッチする)とスクロールに対応するスワイプ(タッチした指を滑らせる)がある。またマルチタッチには日本指の間隔を広げたり狭めたりしてズームイン・ズームアウトを実行するもの(ビンチイン/アウト)とそれを回転する事により画像などの回転処理をおこなうものがある。

一般にはこの内マルチタッチが新しいインタフェースとして喧伝される事が多いようである。しかし実際にはシングルタッチが使われる事が圧倒的に多いし、シングルタッチの感覚の新しさがタッチインタフェースの普及につながっていると考えられる。

一つは指で画面に軽くタッチするタップが中々スマートな感覚を与える。別に性差別をするわけではないが、妙齢の女性が一本指でキー入力をしているのはあまりスマートな印象を与えない。それに対して軽く画面にタッチする様子は側で見ているとなかなか魅力的に見えるのである。

そしてそれ以上に新しい感覚を与えるのはスワイプである。特に女性が人差し指でスクリーンをすっとなぞるスワイプをしている様子はなんとも知的で魅力的に見えるのである。私はこのスワイプの導入こそがiPhoneのタッチインタフェースの大成功につながったのだと確信している。

スティーブ・ジョブスはこれこそが女性に向いた入力法だと確信を持ってタッチインタフェースをiPhoneに採用したのだろうか。そうだとすると本当の大天才であるが(もちろん彼が天才である事に何の異存もないが)、どうも私の見る所これは後付けのような気がする。タッチインタフェースが単に触れることによるその位置の検出に基づくインタフェースであればそれはキー入力+マウス入力とそれほどの違いはない。

独断的に言えば、タッチインタフェースの神髄は指を滑らす動作によって画面をスクロールさせるスワイプ機能にあるのではないだろうか。しかも単に触れた指を動かした長さだけスクロールするのではなく指先を軽くスライドさせることによって、ちょうど車輪に回転力を与えるようにスクロール画面に加速度を与える事が出来、画面が慣性力を持った動きをする。これこそがタッチインタフェースの真骨頂なのではあるまいか。

(続く)