シンガポール通信−「アジア化する世界」が出版されました!−2

会議の場やディナーの場など公的な場でもメールの送受という私的な行為を行う事は、公的な場と私的な場もしくは公的な行為と私的な行為を混在・混同している事になる。いわゆる「公私混同」といわれる行為である。

日本人は公私混同を良く引き起こすとして、これまで欧米の人々から日本人の悪癖として指摘され嫌われて来た。確かに政治家が公の場で個人的な意見をはいてしまい、メディアや国民からたたかれる事が日本では良く生じる。最近の代表的な例として、維新の会の橋下代表が第二次大戦中に日本軍が韓国女性を強制的に慰安婦として使った事に関する発言がある。

彼は、「どこの国でもやっていることではないか」と極めて私的な意見を公の場ではいて、海外から大きな非難をあびた。そしてこの発言が国内でも橋下氏の人気を大きく下げ、そしてそれが維新の会の勢いをそぐ結果となったのは良く知られている通りである。

この公私混同は、日本人に特有な言動と考えられているが、私はより広く考えるとアジア人に共通する言動であると考えている。例えば最近のタイでの政治情勢はその良い例である。タイでは、インラック首相率いる政権与党が恩赦法強行採決した事が引き金となって、野党民主党のステープ・トゥアクスパン元副首相に率いられる大規模な反政府運動が起こった。そしてそれは今年1月に行われた下院総選挙を反政府派が実力で妨害し、投票の出来なかった投票所が多数に上り、結果としてタイ憲法裁判所がこの総選挙の無効を宣言するという事態になっている。

この政治情勢のどこに公私混同が現れているだろうか。一つはインラック首相の言動に現れている。彼女は反政府派による選挙妨害運動を、民主主義の根幹を損なう行為であるといって非難している。これはその通りであろう。しかしそれならば彼女と政権与党が中心となって強行採決した恩赦法(結局最終的には廃案になったが)はどう説明すればいいのだろう。これは彼女の兄で現在国外追放中であるが、同時にまだ国内に支持者の多いタクシン氏の帰国を可能にするための法案であるといわれている。

すなわちインラック首相は、総選挙に関しては民主主義の徹底という事を主張しながら、自分の兄の事になると法案を作ってまで国外追放から逃れさせようという民主主義に反する行為をしているわけである。法案を作り通すという極めて公的な行為を、自分の兄を帰国させるという私的な行為のために使っているのであり、公私混同の典型的な例である。

ところが、そのインラック首相に反対する反政府の行動も褒められたものではない。政治を私的な手段に使っているという主張の基に行われている反政府運動そのものは基本的には認められるだろう。しかしながら、その手段として選挙を妨害するという方法をとる事は到底認められない。

政治を私的な手段に使ってはならないというのは、民主主義の基本原則である。政府の行為がこの基本原則に反していると主張して反政府運動を起こす。これは民主主義を尊重するという公的な立場を表明した事になり、その行動は正しいだろう。
ところが他方で国民による自由選挙というのは、これもまた民主主義の基本中の基本の原則である。民主主義を尊重するという立場から反政府運動を起こしておきながら、その手段として自由選挙による投票を妨害するというのは、まさに表向き主張している事と実際の行動が異なる訳で、公私混同の典型例である。

とまあいうわけで、公私混同はアジア人の間でよく見られるアジア人的行為だと私は思っている。いやもっというと数年前まではそのように思っていたのである。ところが前回も述べたように、ところかまわずメールの送受を行うという携帯電話の使い方−これもまた公私混同の典型例であるが−がアジア人の間のみならず欧米人を代表として世界中の人達の間の共通した行動形式になっているのである。

「アジア化する世界」では、ところかまわず携帯電話でメールをチェックするというこの公私混同した行為が、アジア人のみならず欧米人を代表とする世界中の人達の間での共通する行為になっていることから議論を出発させている。そしてその背後には、実は欧米人の考え方や行為全般がアジア化しつつあるという現象が生じているという、大きな事実を明らかにする。さらには、そのような欧米のアジア化がなぜ生じつつあるのかを明らかにしようとしている。

携帯電話の使い方というごく一部の行為から出発して、欧米人の考え方・行為がアジア人のそれに似て来つつあるという、いわば文明論にまで議論をひろげているわけである。少し風呂敷を広げすぎた嫌いがあるけれども、基本的には正しい見方を提示できたのではないかと思っている。