シンガポール通信−引っ越し完了

4月はシンガポールで6年間住んだ大学の家族寮から出てシンガポール市内のコンドミニアムシンガポール流に言うとコンド、人によってはコンドーと引き延ばして発音するため、コンドームを連想させて慣れるまでなかなか発音するのが恥ずかしい)に移ったため、引っ越し等で忙しくてなかなかブログを更新する事が出来なかった。大学の家族寮からシンガポール市内のコンドミニアムに移ったと言うと、なんだか住む場所がアップグレードしたかのように聞こえる。しかし実際には住む家の広さは大幅に狭くなった。

これまで住んでいた家は大学の家族寮とはいいながら、シンガポールのタクシーの運転手等に行き先を言うと、「大学の先生が住んでいるコンドーだね」ということになるので、これもコンドミニアムと呼んでいいのだろう。少々建設されてから年がたったおり古くなり始めているが、ベッドルームが2つにそれぞれのベッドルーム用のトイレとシャワー、さらには広いリビングルームに書斎、しかもメイドの住む部屋までついていた。広さは百数十平方メートルはあっただろう。

それに対して今回引っ越ししたコンドミニアムは非常に狭い。1ベッドルームとリビング、キッチン、それにトイレとシャワーがついており、日本式に言うと1LDKである。広さは全体で50平方メートル程度だろう。何よりも驚いたのは、それぞれの部屋の狭さというか窮屈感である。

日本のアパートやマンションは、部屋数は多くともそれぞれの部屋の広さが狭い。そしてそれが、日本のアパート・マンションが兎小屋と言われる理由だと、私達は自虐的に思っていたのではないだろうか。それに対して、シンガポールは国土が狭いとは言いながら、部屋の広さ等は欧米を基準にして建てられており、私達日本人からするとゆったりとした感じを与えるというのが私達の先入観ではあるまいか。そして私も、住んでいた大学の家族寮が米国標準の広さだった事もあって、そのように思っていた。

ホテルを例にとると分かりやすい。日本のホテルは総じて間取りが狭い感覚を与える。これは、ビジネスホテルは言うに及ばず一流のホテルと言えども共通しており、このことが日本のホテルがせせこましい感じを与える理由である。それに対して米国等の海外のホテルに滞在すると、そのゆったりとした広さに私達日本人は驚いたり感動させられるのではないだろうか。

もちろん欧州では少々事情が異なり、特にパリ等の歴史のある観光地では狭いホテルの部屋に出くわす事もしばしばであるが。その意味では、シンガポールのホテルは米国の基準で設計され建設されていると言っていいだろう。ベッド以外にもデスクスペース等も十分取ってあるしバスルームの広さも日本のホテルに比較すると3〜5割は広いため、全体としてゆったりした感覚を与えるのではないだろうか。

このように私の経験の範囲内で、シンガポールはホテルも家も米国基準と勝手に考えていた。したがって、今回引っ越したコンドのそれぞれの部屋の広さが日本のアパートやマンションとほぼ同じ感覚なのに驚かされたわけである。

それにしてもあまりにも日本の家の狭さの感覚に近い狭さなので、思わず不動産業者に「これでシンガポール人は不満を持たないのか」と聞いてみたが、最近はどんどんと部屋の広さが狭くなって行きつつあるという答えであった。シンガポールの住居費は徐々に高騰しているとはいえほぼ平衡状態に入ったと言われているようであるが、同時に間取りが狭くなりつつあるとしたら、シンガポールの住居費は実は相変わらずのペースで高騰を続けている事になる。

なるほどシンガポールの生活費が世界一と言われる所以であると妙な所で感心してしまった。さてそのようなこれまでに比較すると狭い間取りの住居は欧米人には好まれないのではと思っていたが、そうでもない。住人の半数は欧米人である。ただし、若い独身者やカップル、もしくはリタイアして余生を楽しんでいると思われるシニアのこれもまた独身者やカップルが大半である。天気のいい休日となると朝からプールサイドで日光浴をしている。

ちなみにコンドミニアムと一般のHDB(日本流に言うと公団住宅)の違いは、間取りというよりは主としてプールがあるかないか、さらには入り口に常時警備員がいるかいないかで決まるらしい。私のコンドミニアムにも、身分不相応に見える25メートルはある立派なプールがついている。さらには小振りではあるが、スポーツジムやバーベキュースペース等もついている。

自分の住んでいるコンドミニアムのプールで泳いだりスポーツジムで運動をするというのはちょっとというのが、私達日本人の感覚ではないだろうか。普段ほとんど顔を合わす事のない隣近所の人たちと同じ敷地のプールやスポーツジムで一緒になる事に対して、どうしても私達は抵抗を感じるのではないだろうか。

しかし日本でもかっては隣近所との親しい付き合いが存在していた。それが高度成長期以降の、隣近所との付き合いがほとんどないというマンション暮らしが普通になってから、日本人の感覚が大分変って来たのかもしれない。それともそのように感じるのは私だけなのだろうか。


引っ越しした先のコンドミニアム(不動産屋の広告を使っているので実際より豪華に見える)。