シンガポール通信−STAP細胞渦中の小保方氏の記者会見

4月初めから帰国していたが、今日再びシンガポールに戻る予定である。帰国中時々閑なときはテレビを見ていたが、やはり相変わらずSTAP細胞の件はマスコミの注目の的のようである。先週9日には小保方氏の記者会見が行われた。100人以上の記者や数十台のテレビカメラを前にしての会見である。私も時間があったのでこの会見の前半30分ほどは会見の様子を見ていた。

さてこの会見の結果に対する反応であるが、全体としてマスコミ側からの反応はあまり好意的とは言えないようである。新聞記事やテレビの報道などを見ていると、その多くの反応はSTAP細胞の存在の可否に関する新しい証拠が提示されなかった事に対する不満に基づくもののようである。また、会見によってもネイチャー論文の画像のねつ造・改ざんに対する疑惑が解消されたとは言えないというのもマスコミ側の反応のようである。

しかし私はかなり異なる印象を持った。まず最初に感じたのは、彼女のマスコミ側からの質問に対する受け答えが終止しっかりしており、また論理的にも一貫しており破綻が見えなかった事である。もちろん時々感情的になったり涙を見せたりして終止論理的とは言えなかったが、全体としてはこれだけの数のマスコミを相手にして堂々たる態度であったと私には見えた。

彼女は学会での発表の場合は、もちろん数百人を相手にしての発表を行った経験は何度もあるだろう。しかしこれだけの数のマスコミ、しかもSTAP細胞作製成功の時と異なりいわば彼女の嘘をあばいてやろうというマスコミに対してこのような態度で接する事が出来るというのは、30歳の女性の態度としては立派なものである。

結論から言うと、マスコミからの種々のいわば意地の悪い質問に対して、彼女からの返答は矛盾を露呈する事無く上手く切り抜けたと言えるだろう。マスコミからの反応が好意的ではないのは、彼女がボロを出さなかった事に対するマスコミのいらだちが現れていると見ていいのではあるまいか。

記者会見でボロを出した多くの政治家、具体的には前東京都知事や前みんなの党の党首などの記者会見に比較すると、彼女の会見における首尾一貫した態度は私には立派なものだと思える。いやむしろ彼女の会見は、謝罪と涙を交えながらマスコミを手玉に取ったという言い方も出来るのではないだろうか。マスコミ側の完敗と私には思えた。

第一今回の会見は、STAP細胞の存在の証明をするための会見ではない。理研STAP細胞作製成功を報じるネイチャー論文に「研究不正」があったとする報告に対する、反論のための会見である。STAP細胞の存在の可否を明確にするための会見ではないのである。このあたりをマスコミ側は理解していなかったのではないだろうか。

あまりにもSTAP細胞の存在の有無に質問が集中していたようである。それに対して彼女の「200回以上はSTAP細胞作成に成功している、しかし詳細な作製法は明かせない」という首尾一貫した返答を突き崩すことができていなかった。詳細な作製法はマスコミ対応の会見の場では明かせないというのは研究者としてごくごく当たり前の態度であろう。新しい証拠があるとすればそれは論文で明らかにするものであり、マスコミに対して明かすものではないと私も思う。それに対するマスコミ側の不満は、ある意味理不尽な不満なのではあるまいか。

またネイチャー論文に使用された画像の使用にねつ造・改ざんがあったという件に関しても、マスコミ側と小保方氏側のすれ違いが目立った。彼女は画像の取り違えや、画像を一部加工した事は既に認めている。そしてそれが研究者倫理として正しくない事も認めており、それに関しては自分が研究者として未熟であったとして謝罪している。ただしそれがあくまでミスであり悪意を持って行ったのではないことを主張しているのである。

一方理研側はその行為を「研究不正」と判断しているが、これも研究者の倫理に反する行為であると判断している訳であり、彼女が悪意をもってこの行為を行ったとは主張しているわけではない。その意味では理研側の意見と小保方氏の意見は合致している訳である。理研の調査委員会の「研究不正」という判断を、「悪意を持って行った」と勝手に判断しているのはマスコミなのである。

そして自分たちのその判断に基づき、小保方氏から「悪意を持って行った」というコメントを引き出そうと必死になって意地悪い質問を続けているように私には見えた。もちろん、「研究不正」という言葉は本来悪意の有無は考慮しない言葉ではあるが、そのような意味合いを持つ言葉の正しい意味をマスコミに伝えず、マスコミの誤った判断をそのままにさせている理研にも大きな責任はあるが。

そして何よりも最後に言いたいのは、なぜこんなに騒ぐのかという事である。これは純粋基礎研究の分野の出来事である。STAP細胞の有無は専門領域の研究者にまかしておくべき事であり、マスコミや一般人がその有無を論じることではないのではないか。もしSTAP細胞が存在するとしても、それが人間を対象とした医療に使われるようになるまではまだまだ時間がかかるだろう。その意味では極論すれば、STAP細胞の有無は私たちの日々の生活には何の関係もないのであって、その議論は当面専門の研究者にまかせておけばいいのではないか。消費税アップ、高齢化問題、これらの話題の方がよほど重要な話題ではないか。