シンガポール通信−理研の調査結果の報告を信用できますか?−4

前回、ネイチャー誌に掲載されたSTAP細胞作成成功に関する論文に複数の重大な誤りが見いだされそれに伴って、STAP細胞作成成功のニュースそのものも否定されかねない状況にある事を述べた。同時にこれはネイチャー誌という世界的にも有名な論文誌に載った論文といえども時には誤りを含んでいる事を示している。このことはネイチャーは信用できないという事なのだろうか。

この事は重要な問題をはらんでいる。実は先に述べたように、先進的な研究であればあるほど、その内容を公平・厳密に審査するのは難しいのである。ネイチャー以外にも世の中には学術論文を掲載する学術論文誌はそれこそ山のようにある。そしてそれらの論文誌に投稿される論文の数は論文誌の数の数倍はある訳である。そのような膨大な投稿論文をチェックし、信頼に足るとともに新規性のある研究成果を報じる論文をどのようにして選択しているのだろうか。

実は論文のチェック(「査読」という専門用語を用いる)はビアビューという方法を用いる。ピアは「同僚」という意味なので、ピアレビューは「同僚による査読」という意味である(ここで同僚とは、同じ組織に属しているという意味では無くて同じ分野に属しているという意味である)。

つまり研究は多岐に渡っているので、全ての分野の論文を査読する事の出来る人というのは皆無である。そのため論文はその論文の内容に近い分野の研究を行っている研究者に査読してもらい、論文の正当性と価値を判断する訳である。

ピアレビューは実は大きな問題をはらんでいる。その一つは同じ分野の研究者というのはいわば利害関係者である。先に理研の研究成果の正否を理研自身が判断する調査委員会に関し疑問を呈しておいたが、実はこれは研究という分野全体に関わる問題なのである。利害関係者が論文の査読を行うという事は、時には甘くなりすぎたり(知り合いの研究者の書いた論文の場合)逆に厳しくなりすぎたりする(ライバル関係にある研究者の書いた論文の場合)。

もちろんそのような利害関係が入らないように中立の立場から査読を行う事を要請され、そして査読を行う研究者で出来るだけそのような要求に沿って査読を行おうとするが、どうしてもある種の利害関係というのは論文の査読結果に影響をしてくるのは避けられない。

もう一つは同僚(ピア)といえど、論文の内容に関わる特定のテーマを研究しているのはその論文の著者だけである場合が多いので、結局の所その論文に記述された研究成果の正当性・妥当性に関しては論文の著者の誠意を信用しながら(つまり悪意を持ってデータのねつ造などを行っていないと信じながら)行うしか無いのである。つまり、先ほど言った若い研究者とその指導者の関係にも似てくるわけである。

というわけで、今回のSTAP細胞のスキャンダルの件でさんざん言いたい事を言ってきたが、結局の所今回の件を他山の石として研究者の日々のあり方を再度考え直すいい機会になったといのが結論である。

そして最後に言っておきたいのは、STAP細胞が出来たのか出来なかったのかというのはまだ決着がついていないということである。メディアは最初の発表の時にはそれに飛びつき小保方氏をヒロイン扱いをしておきながら、小保方氏の執筆した論文に誤りが見い出されそれを理研が「研究不正」と断定すると、あたかも小保方氏のSTAP細胞作成成功という研究成果そのものも小保方氏のでっち上げであるかのような報道の仕方をしているようである。このような報道の仕方には強い怒りを感じる。

小保方氏が研究者としては一人前ではない未熟な面を持っている事は、彼女の言動を見ていればある程度はわかったはずである。私はメディアに載る彼女の写真が常にカメラの方を向いてにっこり笑っていることにある種の不自然さを感じた。これは彼女がそのようなヒロイン役を演じさせられているか、もしくは彼女が極めて自己顕示欲の強い女性である事を示している。ともかくも研究者の写真としては不自然なのである。

彼女にインタビューしたメディアはその事に気付きSTAP細胞作成成功のニュースの報道に慎重性を持つべきであった。STAP細胞作成成功が発表側の事実としては否定できないものの、それを裏付けるためには他の研究機関での追試実験の成功が不可欠である事などを知っているべきであった。そうであれば、今回のような成功時の過熱した報道と、そしてまたその成功に疑問符が付いたときの手のひらを返したような加熱した小保方たたきは生じなかったのではないだろうか。