シンガポール通信−理研の調査結果の報告を信用できますか?−3

さて今回のSTAP細胞に関する大騒ぎに関し、いろいろと勝手なかつ批判的な意見を述べて来たけれども、実は今回の件は私たち研究分野に籍をおくものにとっては、極めて重大な問題を提起してくれている。

それは極めて細分化し先鋭化した研究の成果を公平に評価するにはどうすればいいか、いやもっと言うと先端的な研究の成果を本当の意味で公平に評価できるのだろうかという問題である。

私の例で具体的に言うと、現在私はシンガポール国立大で何人かの博士課程の学生の指導教官をしている。それらの博士課程学生は定期的に私に研究成果を報告しに来る。そしてその研究成果をベースに今後の研究の進め方を議論し指示する訳である。また何人かの博士課程は現在博士課程論文を執筆中で、提出間際の学生もいる。

さてそれらの学生の研究の内容・成果を私は完全に把握できているだろうか。もちろん注意深く研究成果はチェックするし、博士課程論文はできるだけ慎重に目を通すという事は行う。しかしながら、基本的には彼等が提出して来るデータは彼等が本当に実験を通して得たものであることを信用せざるを得ない。これを信用しなくなったら、まったく研究指導というのはできなくなってしまう。

もちろんある条件の下で得られるデータがおかしいと見える事はある。そのような場合にはもちろん、実験条件が正しく設定されているかなどを学生と議論し、誤った実験条件で実験が行われた事がわかる場合も多々ある。しかしそのような状況は、あくまで私の研究経験上得られた勘のようなものに基づいている訳であって結構主観的なものである。そしてまた良く知られているように、新しい発見というのはこれまでの経験などを越えた所で生じるものである。あまりにも過去の経験に基づいた見方をしていると、新しい発見を見過ごしてしまう事にもなりかねない。

このことは、研究の分野では指導者がチェックできる範囲、指導できる範囲は限定されている事を意味している。新しい領域の研究であればあるほど、そして若い研究者が優秀であればあるほど指導者に出来る事は限られて来る。若い研究者を信じてその研究者の行いたい研究を行うことが可能になるように、予算を獲得したり研究環境を整える事が指導者の仕事であるといっても過言ではない。

したがって、先端研究分野では今回のような事は十分起こりうる事なのである。とはいいながら当然ではあるが、同じ研究テーマを行っている若い研究者と指導者は、いわば犯罪で言うと主犯者と共犯者に相当する事になる。若い研究者がミスを犯したら当然ではあるが、指導者も共犯者として責任を取るべきである。
今回のSTAP細胞の研究成果に関しては理研は、直接の指導者である笹井芳樹理研発生・再生科学総合研究センター副センター長や若山照彦山梨大学教授には研究不正は無かったとするものの、研究不正を見逃したことで責任重大であるとしている。これは当然であろう。

さて最後にもう一つ、多分一般の人達が疑問に感じている事があると思われる。それは今回のSTAP細胞作製成功を報じるネイチャーの論文である。ネイチャーと言えば、科学技術の最先端の研究成果が報告される論文誌として世界的に有名であり良く知られている。当然ではあるがネイチャーに載る論文は厳しい査読を経て掲載されるものと私たちは思っている。いやもっというとネイチャーに載った論文に発表された内容であるからこそ、確実な研究成果であると私たちは思いそしてメディアは大騒ぎした訳である。

ところがそのネイチャー誌に載った華々しい研究成果を報じる論文に多くの誤りが含まれ、結果として内容そのものも信頼できないという事がわかったというのが今回の騒動の顛末なのである。このことはネイチャー誌が信頼できないという事なのだろうか。

(続く)