シンガポール通信−理研の調査結果の報告を信用できますか?−2

さてもう一つはこのブログでも既に指摘したけれども、調査委員会の公平性の問題である。STAP細胞作製成功に関してネイチャーに掲載された論文は、多くの連名者がいるとはいえその多くは理研の研究者である。つまり今回のSTAP細胞に関するネイチャー論文は理研という組織によって発表された論文であり、そしてそれに基づいて理研が報道発表を行った研究成果であると判断される。

つまり言ってしまえば理研の研究成果なのである。そのネイチャー論文の内容に疑問が付けられ、ひいてはSTAP細胞製作成功という研究成果に疑問が付けられているわけである。それを調査する場合は、当然ではあるが調査の公平性を保つためには、理研から独立した調査委員会を設置し、その調査委員会が調査を行うというのが正しい進め方ではないだろうか。

これは理研が設置した調査委員会が公平性に欠けるといっているのではない。もちろん調査委員会には外部の専門家が入っているだろうし、理研から加わっている委員も実績のある研究者であろうから、公明正大な調査が行われたと信じたい。しかしこれほど大騒ぎされた研究成果である。その研究成果に対し疑問が提示されたのであれば、調査の公平性にも十分神経を払うべきであると思う。

たとえ同じような調査委員の構成になるにせよ、文科省が直接大学の先生などに調査委員会の設置を依頼して、そこに理研の研究者も加わるという調査委員会の構成方法にすべきだったのではないだろうか。理研の人間が調査委員長を務め、そのような理研主導で設置された調査委員会の報告というのは、どこまで信じていいのかという印象をマスコミや人々に与える恐れがあると思うのは私だけではないだろう。

それからもう一つ気になるのは調査委員会がいう「不正」という言葉の意味である。不正という言葉には「犯罪」と同様に、「本人が悪いと知りつつ意図的に行った」という意味が感じ取られる。つまり小保方氏が悪意を持ってSTAP論文をでっち上げたという意味合いが感じ取られるのである。当然ではあるが一般人を対象としたメディアはこの言葉に対しそのような捉え方をするだろう。それに基づいて小保方氏を研究者の風上にもおけない悪徳研究者であるかのような「小保方たたき」がこれから連日繰り広げられることだろう。そして残念ながら一般の視聴者も、成功者がその成功の絶頂から転落する過程を知る事に快感を覚えるものである。

しかしここでいう「不正」はそのような意味では使われていない。間違ったデータの利用やデータの加工など研究者倫理として認められない事実が論文にあったということなのである。元々研究成果というのは、他人の研究成果の上に積み重ねて行くものである。従って先人の研究成果を論文中で引用することは通常であるし、その際に「コピペ」をすることもある。しかしそれが度を越して文学作品などにおける剽窃にならないように研究者は常に気を使っている。それが研究者論理である。それが今回は小保方氏がそのような研究者倫理を十分教育されていなかった「未熟な」研究者であったが故に、認められている研究者倫理の枠を踏み越えてしまったということである。

これはもちろん最終的には本人の責任問題である。しかしそれと同時に、彼女の博士論文を指導した指導教官そして現在の彼女の研究を指導している上司が、常時彼女への指導を通して教育しておくべき事でもある。したがって彼女の博士課程の指導教官、現在の研究の指導者の責任も厳しく追及されるべきであろう。

とはいいながら、これは彼女が研究者として未熟であったが故に生じたことであり、決して彼女が悪意を持ってSTAP細胞作成成功という研究成果とそれを報告するネイチャー論文をでっち上げたというわけではないだろう。これは明確にしておくべき事である。

確かに理研の調査委員会の報告を読むとこの辺りは注意深く取り扱っている。あくまで「研究不正」という専門用語を用いた言い方をしており、本人が意識的にもしくは悪意を持って行ったという言い方はしていない。しかしながら「研究不正」という専門用語を用いる事は、メディアや一般人はその中の「不正」という言葉だけを取り出して、本人が悪意を持って研究成果をでっち上げたかのように報道する事につながりやすい。

これはSTAP細胞作成成功を報じる報道発表の際に理研が取った態度と同じである。まだ他の研究機関で追試に成功しておらず研究成果として確定したものではないにも関わらず、大々的にメディア相手に報道発表してしまうという理研のいわば世間慣れしていないところが、今回の調査委員会報告にも出ていると私は思っている。その意味では実は理研STAP細胞作成成功の報道の際に取ったのと同じ誤りを犯している訳で、「学んでいないな」というのが私の理研に対する印象である。

(続く)