シンガポール通信−「アジア化する世界」4

従来の西欧的民主主義国家と異なる形態が行なわれている国としてタイとシンガポールをあげたが、アジアの国家のあり方を考える時、当然中国を入れないわけにはいかないだろう。

中国は政治的には共産主義国家である。しかし経済的には資本主義を取り入れていると言っていいだろう。共産主義と資本主義の共存がなぜ可能かというのも、西欧的考え方からすると謎であろう。

資本主義の基本論理は自由競争である。自由競争の行き着く所が、富むものはますます富み貧しいものはますます貧しくなり、資本家が人民を搾取するという構造になると説いたのはマルクスである。そしてそれに対する反対の体制として提唱されたのが共産主義である。

したがって本来共産主義と資本主義は相反する体制のはずである。かって米国と覇を争ったソ連邦が崩壊したのは、自由競争を認めない事が国の経済や技術の停滞につながり、西欧諸国に太刀打ちできなくなったからである。

その資本主義と共産主義がなぜ中国で共存しうるかというのは、西欧諸国に取っては大きな謎であろう。しかもそれに加えて、中国は将来的には米国に代わって世界の最強国になる可能性があるとも言われている。

私達はソ連邦の崩壊以来、国家のあり方の現実的なものが政治的には民主主義、経済的には資本主義の組み合わせであると考えて来た。中国の共産主義と資本主義を組み合わせた国家のあり方はこのような従来の国家に対する考え方をひっくり返すものだといっていいだろう。

さて、ここまで西欧の国々の体制とは異なる体制の上に成り立っているアジアの国々としてタイ、シンガポール、中国をあげた。

タイでは、議会制民主主義の基本原則である自由選挙を否定する動きが現在盛んに生じている。これは選挙によって選ばれた議員が多数決で政策を決めるという進め方を否定する事になる。すなわち多数決の否定である。反政府側の本当の狙いがなかなか見えないが、私の見る所ではあくまで話し合いによる解決、すなわち多数決ではなくて全員の合意による決定なのであるまいか。これはある意味で直接民主主義への回帰である。とりあえず「全員合意型民主主義」と言っておこう。

そしてシンガポールの国家の体制というのは、前回も述べたように自由意志を持った人たちが集まって作り上げた言論の自由が保障されている国家体制ではない。そうではなくて経済的発展を至上目的として掲げる国家への帰属を国民に求める体制である。経済的発展のためには多少の言論の自由の制限はやむをえないとし、その考え方に賛同する人だけに参加を認めるような国家体制のあり方である。これを「企業的民主主義」と名付けてはどうだろう。

そして上に述べたように中国の国家体制は、政治的には共産主義であり経済的には資本主義をとりいれた折衷型の体制である。これは「資本主義的共産主義」と呼べるだろう。

さて問題は、西欧社会はこれまでの長い歴史の中で、政治的には議会制民主主義であり経済的には資本主義である国家のあり方が、もっとも望ましい形であると考えて来た事である。ところがアジアの国々では、西欧的な考え方によれば特異な形の国家が存在している。(もちろん北朝鮮というのはその最も特異な形であろう。もっとも北朝鮮がいつまで存続できるだろうかという問題はあるが。)

西欧的な考え方からすると、これらの国家は近代的民主主義国家とは言えないということになろう。彼等の考え方からするとこれらの国々の体制は前近代的な国家体制であり、それはこれらの国々が未だ西欧社会のレベルにまで達していないからであるということになる。そして時間が経てばこれらの国々も西欧的な近代的民主主義国家に移行するだろうという結論になる。

しかし再度言うけれども本当にそうだろうか。タイでは、選挙を否定しインラック首相の辞任と対話のための委員会の設立を要求する反政府派に対して政府は強硬な態度をとることができず、インラック首相は首都を脱出して離れた場所で執務せざるを得ないという状況である。シンガポールでは、人々はある程度の言論の自由の制限を甘受しても経済的な発展の方を優先したいと考えている。そして中国では、共産党の支配のもと人々は経済的成功を得て金持ちになる事を目標に働いている。そしてそのような国がアメリカと競合する大国として認められつつあるのである。

これらを見ていると、どうもアジアでは従来の西欧型の民主主義とは異なる形の政治形態が存続しうるのではという気がしてくる。そしてその中から次世代の民主主義が生まれるのかもしれない。これも別の形の「アジア化する世界」なのかもしれない。