シンガポール通信−和辻哲郎「鎖国」

私は和辻哲郎のファンというわけではないが、本棚を見渡してみると、和辻哲郎の本が結構並んでいるのに気付いた。もっともいずれも岩波文庫であるが、本棚には「古寺巡礼」「風土」「孔子」「日本精神史研究」「倫理学」「人間の学としての倫理学」が並んでいる。

この中で最もファンが多いのは「古寺巡礼」だろう。この著作は、彼がまだ東京帝国大学を卒業してからそれほど経っていない頃、友人たちと一緒に奈良の古寺を訪れてその仏像などを拝観したときの感想を綴ったものである。全体に青年らしいまだ青臭い文章ではあるが、感受性に富んだ若者が美しいものに接したときの情熱が素直に表現されており、特に若い人には好まれるであろう。

しかしながらそれ以降の作品には、徐々に学者としての和辻哲郎が前面に出て来て、内容も徐々に堅苦しくなってくる。「古寺巡礼」と同じような内容をそれ以降の彼の著作に期待して手に取った読者は失望するだろう。

もちろん和辻哲郎の持つ特徴である、豊かな感受性と鋭い直感力は文章のあちらこちらに出て来るため、いわゆる学問一辺倒の大学教授の著作のような堅苦しさはなく、比較的容易に読み進める事ができる。

しかし、この豊かな感受性と鋭い直感は、時に彼の著作の中の論理に飛躍を与えている。そのため肩がこらずに読む事は出来ても、学術論文という観点からすると不備な面も含んでいる事は否めないであろう。このあたりが、彼の著作に対して毀誉褒貶が激しいことの原因であるかもしれない。

もう一つ彼の著作をあまり好まない人が多い理由として、皇室と神道を基礎とした日本古来の伝統に対する高い評価が彼の著作のベースとなっている事である。それは時には皇国史観と見なされるため、リベラルな考えの人たちには好まれないだろう。

とはいいながら、そのような先入観を持たずに和辻哲郎の著作を読んで行く事は、他の哲学書を読む事に比較すれば比較的易しいし楽しい。それは先に述べたように、彼の豊かな感受性と鋭い直感は彼が学問の分野で大御所となりはじめてもまだ生きており、それが彼の著作の随所に現れているからである。

鎖国」は日本が太平洋戦争に破れた直後に書き始められ、1950年(昭和25年)に筑摩書房から出版されたものである。現在は岩波文庫2冊の内容として手に入る。その正式タイトルが「鎖国−日本の悲劇」とあるように、直接の言及はないものの、太平洋戦争に日本が破れたのはなぜかという問題意識から書き始められたものであろう事は容易に推測される。

そしてその原因をさかのぼって追及して行くと、豊臣秀吉の1587年の宣教師追放令に始まって、徳川家康の1636年の鎖国令によって確立された日本の鎖国にその原因が求められると和辻哲郎は考えているようである。

西欧の国々・人々が持っている新しいもの、未知のものに対する飽くなき好奇心や探究心が西欧の科学技術の進歩に結びついたのに対し、日本における鎖国が日本人も本来は持っていた同様の好奇心や探究心を押さえ込んでしまい、二百年に及び鎖国の間にすっかりそれらを萎えさせてしまったというのが彼が言いたい事であろう。

200年の鎖国の後、明治の開国に伴い急速に西欧の思想・技術が流入し、日本はどん欲にそれを吸収しようとした。そして急速に西欧の考え方や技術に追いつこうとした。しかし付け焼き刃的な西欧思想の導入では、太平洋戦争の開始までには西欧の国々・人々が持っている広い視野や考え方に追いつくには至らなかった。

本来小国日本が米国を代表とする世界の大国を相手にして勝てるわけがないのに、太平洋戦争を始めてしまったのは、鎖国によって狭められた日本人が持つ視野がまだ十分に広くなるにはいたらなかったからではないか。だからこそ日本が鎖国に踏み切ったという事は日本に対して大きなマイナスの意味を持っており、その故に鎖国は日本に大いなる悲劇をもたらしたというのが和辻哲郎がこの著作で言いたい事であろう。

(続く)