シンガポール通信−「アジア化する世界」2

世界の人々のコミュニケーション行為が似通って来ているという事については、以下の事実がそれをはっきりと証明しているだろう。

電車やバスを待っている人や電車やバスに乗っている人の多くが、いやもっと言うと最近は大半の人がスマートフォンを眺めている風景は、ごく普通の風景になって来た。そしてそれは世界中で普通に見られる風景である。その先を行く日本やシンガポールでは特に若者は、食事をしている際にも、大学の授業を聴いている際にも、友達とおしゃべりをしている際にも、一方でスマートフォンに目をやる行動をしている行動をしているのではあるまいか。

このように世界中の人々のコミュニケーション行動が一様に変りつつあるわけであるが、コミュニケーションは私達の日常生活の一部だけを構成しているのではない。

「くう、ねる、あそぶ」という人間の生物としての基本的な行動を考えてみれば分かるように、実は私達は「くう、ねる」という生存のために必要な行動以外の行動の多くは、コミュニケーションに費やしていると言って良い。(ちなみに「くう、ねる、あそぶ」という糸井重里氏のキャッチコピーは、生きるという事の本質をついた名キャッチコピーだと今でも思っている。)

このような行動様式を、私は「アジア人的な行為」と呼んでいる。このような行為がなぜアジア人的なのかはとりあえずおいておくとして(そのことは「アジア化する世界」では説明しているが)、世界の人々のコミュニケーション行動が似通って来ている、もしくはアジア人化しているという事は、世界の人々の行為全体がアジア化して来ているという事なのではないか。これが「アジア化する世界」という本を書くきっかけとなった考えである。

もちろん前回も言ったように、ここまでは他の人も指摘している事かもしれない。しかしそれがなぜ生じているのか、その理由まで考察している例があるだろうか。どうも私が調べた範囲ではなさそうなのである。ということで、世界の人々の行動様式がアジア化しているという事実と同時に、それがなぜ生じているのかを考察したのが「アジア化する世界」の内容である。

いまよく聞く言葉は「グローバリゼーション」である。これは本来世界が一体化することを意味しているが、その実態は欧米特に米国の技術・文化を世界の標準にしようという考え方である。つまり世界のアメリカ化である。私が「アジア化する世界」で言いたいのは、世界中がグローバリゼーション(つまり「アメリカにならえ」ということ)と言っているそばで、実は人々の行動様式はアジア化しているということなのである。

これ以上話すとこの本の内容のネタばれをする事になるので、この辺にとどめておいて、出版されたらぜひ買って読んで頂けるとありがたいと思っている。

さてそのような観点から世界で起こっている事を見てみると、新聞・テレビ等のメディアが報道しているのとは違った視点からこれらの事を見る事が出来るような気がする。いいかえると、メディアの報道の基本にある考え方というのは少し片寄っていると言っても良い。

この事もよく言われる事であるが、その場合も日本であれば保守か革新か、米国であれば民主党的か共和党的か程度のことではあるまいか。しかし私が感じるのはそのもっと底に西欧的な価値観が存在しているということである。つまり紀元前のギリシャの哲学に端を発している西欧的な考え方・価値観がメディアの言動の基本的な立ち位置となっているということである。

もちろん、中国や北朝鮮等の一部の国はそうではないだろう。しかし日本もシンガポールもいわゆる先進国と呼ばれる国は、アジアの国ではあってもすでにメディアの報道の根底に西洋的価値観が存在し、それに基づいて報道しているというのが私の感じる所である。

具体的には例えば、タイで現在生じている事を取りあげてみよう。タイではインラック首相の率いる政府に反対する反政府派のデモが連日のように行なわれている。反政府派が政府の主立ったビルを占拠したり、2月2日に行なわれた総選挙では、反政府派が投票所を選挙する等選挙活動を妨害して全国9万4千カ所の投票所のうち約1万カ所では投票が行なえないという事態が生じた。

民主主義をその基本的な政治主眼として掲げる西欧諸国からするとこれは考えられない事態であろう。民主主義を実施するための基本手段は国民の代表を選ぶ選挙である。それを妨害するという事は民主主義を否定する行動だと西欧の人たちには映るだろう。

(続く)