シンガポール通信−「アジア化する世界」

現在、「アジア化する世界」というタイトルの本の出版の準備を進めている。順調に進めば3月末には出版の予定である。工学系の専門書ではなくて、一般の人たちを読者として想定した一般書である。

2010年の2月に「テクノロジーが変える、コミュニケーションの未来」という一般書を出版したので、4年ぶりに私の2冊目の一般書が出版される事になる。

「テクノロジーが・・」の内容は、私がまだ日本にいた頃に新しいテクノロジーがコミュニケーションの形態を変えて行きつつある現実をベースとして、いったいコミュニケーションとはなんだろうという問題を、技術・アート・宗教・社会等の観点から考えてみたものである。これは、当時私が在籍していた関西学院大学の1、2年生向けの講義の内容を本にしたものであり、易しく記述してあるがコミュニケーションというものの本質に少しは切り込めたのではないかと思っている。

上のように、「テクノロジーが・・・」の内容そのものは日本にいた頃に考えていた事がベースになっているが、日本にいた頃は出版という事までは考えなかった。しかし、2008年にシンガポールに来て以降、シンガポールでも新しい技術がコミュニケーションの様相を急速に変えて行っている様子を見ていると、コミュニケーションのあり方に関する本をまとめて出版しておかなければという気持ちになり、仕事の合間をぬってなんとか出版にこぎつけた。

さて私の2冊目の一般書である「アジア化する世界」は、シンガポールに来てから日頃感じていた事を私のブログに書きためていたものをまとめたものである。一見したところ「テクノロジーが・・・」とはまったく関係ないタイトルのように見えるが、私の中では強くつながっている。

新しいテクノロジーがコミュニケーションの様相を急速に変えつつあると述べたが、それが日本だけではなくシンガポールでもほとんど同時に、似た形でコミュニケーションの様相の変化が生じているというのは、私にとって新しい発見であった。
シンガポールはアジアの複数の文化が交わる地点であり、かつ多くの欧米人が住んでいる事から、東洋と西洋が交わる場所であるという事も出来る。ということはシンガポールで生じている事は世界で生じているということではないか。

その後、米国・ヨーロッパ等への海外出張の際に注意して観察したり、海外の研究者と議論したりする機会を通してこの事はより強い確信へと変って行った。それは一言で言えば、「世界中の人々のコミュニケーションのやり方、もしくはコミュニケーション行動が人々の属する文化圏に関わらず似て来ている」という事実である。

この事に気付いている人は多いであろう。しかしそれはこれまでは、「新しいメディア(具体的には、メール、スマートフォンFacebookTwitter)が人々のコミュニケーションの仕方を変えている」という観点、言い換えると「新しいメディアの影響」という観点からのみ考えられて来たのではないか。

コミュニケーションがどう変って行きつつあるのかという所までは、議論が行なわれているだろう。しかしながら大半の議論はその段階で止まっており、結果として人々は「だからスマートフォンは子供には危険だ」という反対派か「スマートフォンこそがコミュニケーションに革命をもたらしている」という賛成派に分かれて相手を非難しているというのが現状ではないだろうか。

もっと深いレベルでの議論、具体的に言うと「新しいメディアがなぜコミュニケーションの様相を変える力を持っているのか」、そしてもっと言うと「人々の行動様式はなかなか変らないと言われているのに、人々のコミュニケーション行動がなぜ容易に変化していくのか」「より本質的な原因があるのではないか、あるとすればそれは何だろう」という議論がなされていないように見える。この部分に切り込めないだろうかということを、私はシンガポールに来てから、シンガポールと日本、そしてしばしば訪問する欧米の国々を観察しながら考えて来た。

(続く)