シンガポール通信−安倍首相の靖国神社参拝

安倍首相が12月25日に靖国神社参拝を行なった事が内外で波紋を呼んでいる。

猪瀬前東京都知事が現金5000万円を医療法人徳洲会グループから受け取った事件で辞職に追い込まれた経緯が、日本国内では大きなニュースになったのにシンガポールでは(そして多分他の国々でも)まったくといっていいほどニュースにならなかった事を、このブログで書いた。猪瀬前知事が2020年のオリンピックの東京誘致に貢献があったとはいえ、猪瀬前知事の現金受け取りとその結果としての辞任は、あくまで国内事件なのである。

それに対して安倍首相の靖国神社参拝は、昨日のシンガポールのテレビChannel News Asiaではトップニュースになっていた。このことは、これが国際的なニュースである事を示している。しかし日本の各新聞のニュースを見る限り、日本国内ではこれは国内ニュースとして理解されているように思える。

安倍首相は参拝に際して、「国のために戦い倒れた方々に対し、手を合わせ尊崇の念を表しご冥福をお祈りするのは当然だ」とのコメントを出している。これは国内の靖国神社参拝賛成派の基本的な考え方であろう。靖国神社は国を守るために戦い倒れた方々を祀ってある神社であり、国のトップである首相は率先して参拝するべきであるというのがその論理である。

それに対して反対派は、靖国神社は戦犯として処刑された人たちも祀ってあることに異を唱える。戦犯は太平洋戦争を引き起こす事により日本人を苦しめかつ日本を敗戦へと導いた張本人であり、彼等も祀ってある靖国神社に国のトッップである首相が参拝する事は、太平洋戦争を国家として正当化する事になるという論理で彼等は反対している。

この論争を見ていると、実は同じ問題を異なる観点から見ているに過ぎないことがわかる。すなわち戦犯が祀ってある事をどうとらえるかという事である。国のために戦って倒れた一般国民の霊に手を合わせ冥福を祈るという事の重要性・必要性に関してはいずれの派も賛成であろう。だからこそ原爆慰霊祭には首相も参列するのである。

広島、長崎の原爆慰霊祭は極力政治色を排しているために、ここに首相が参加することには誰も異は唱えない。ところが靖国神社は、日本の軍人・軍属等を祀っており、戦前は国の管轄する神社であり、そのため東京裁判で死刑を執行された戦犯を合祀している事が、問題をややこしくしている。

これが死刑を執行された戦犯だけと言うなら、まだ問題は簡単であろう。しかし反対派から見ると、戦犯にかぎらず太平洋戦争を指導する立場の人たちも祀ってある事が問題なのであろう。すなわち、靖国神社に参拝するということは、戦争に駆り出され戦死した一般国民だけでなく戦争を指導した人たちにも手を合わせるということになり、それは太平洋戦争そのものを正当化することにつながるのではないかという論理であろう。

したがってもう一度言うと、首相の靖国陣社参拝を巡る議論というのは、賛成派の人たちからすると靖国陣社に祀ってある戦争で倒れた一般の国民に首相が手を合わせて何が悪いという事になる。そして反対派からすると、いや祀ってある人たちの中にはあの戦争に責任を持つ人たちも入っているから、まとめて手を合わせる事は首相がそして国が太平洋戦争そのものを正当化する事になるというわけである。

いずれにせよグレーな部分を持った問題を反対の方向から見ている二つの派の人たちが論じているのであるから、決着がつきにくいのはしかたがないだろう。国内問題に閉じている内は、それで問題ないと考えられる。しかしながら、今私達が考えなければならないのは、首相の靖国神社参拝問題は、国内問題にとどまらず国際問題であるという事である。

今回の安倍首相の靖国陣社参拝に関しては、当然のように中国・韓国が反発しているのと同時に米国も不快感を表明しているという。これに対して、国際問題になるからこそ参拝を控えるべきであるという意見もある。これは反対派が利用しやすい論理であろう。

しかし国内問題と考えてもいい首相の靖国神社参拝が他国に大きな波紋を及ぼす事は、これを外交カードとして使えるという事である。首相の靖国神社参拝を外交カードとしてどう使うかは、首相の靖国陣社参拝賛成派も反対派も少し考えてみる必要があるのではないだろうか。

(続く)