シンガポール通信−ジャレド・ダイヤモンド「文明崩壊」2

ジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」は、文明の発展にその文明のおかれた地理的な自然環境、いいかえると風土が大きな影響を与えるという主張を行なっている著書である。

それに対して同じ著者の「文明崩壊」は、発展した文明が衰退し滅びる際にも、やはり自然環境が大きな影響を与えている事を主張していると理解する事が出来る。それを多くの例を示すことによって証明しようとしているのが、この本の内容である。

その意味で、論じようとしている点は「銃・病原菌・鉄」と「文明崩壊」では似通っているともいえるが、一方で異なる点もある。その一つは「文明崩壊」でいう環境が、そこに住んでいる人間を取り巻く与えられた自然環境であるというにとどまらず、ある程度発達した文明の場合は、そこに住んでいる人間が影響を与えることのできるものでもあるということである。

現在の私達が直面している「環境汚染」「環境破壊」などは、私達が自分たちを取り巻く自然環境に大きな影響を与えうる事を示している。当初自然から与えられた自然環境がいかに優れたのもであっても、文明が発展すると共にそれを人間が汚染し破壊してしまう事が過去の文明の衰退・崩壊につながったということを、この著書は私達に教えてくれているのである。

もう一つの違いは、「銃・病原菌・鉄」が過去の歴史上の出来事をベースとして自然環境と文明の発展の関係を論じようとしているのに対し、「文明崩壊」では過去の出来事を例として論じると同時に現在地球上の各地で起こっている事をも論じようとしている事である。

それはつまり、与えられた自然環境および人間がそれに与えた影響が過去の文明の衰退・崩壊にどのように影響したかという教訓から、現在地球の各地で進んでいる環境汚染・環境破壊が、地球上の文明の今後の衰退や崩壊につながりうるという警鐘を著者が私達に与えようとしていると考える事が出来る。

その意味では、過去の歴史上の出来事からある種の法則を導きだすだけではなく、それを現在の地球に当てはめそして今後生じうる可能性を論じ、私達に環境破壊をしては鳴らないという警告をしてくれている啓蒙書なのである。

さてそれでは「文明崩壊」と「銃・病原菌・鉄」のいずれが読んでいて面白いかと言うと、残念ながらそれは「銃・病原菌・鉄」の方が圧倒的とはいかないまでも読んでいて面白い。「銃・病原菌・鉄」は日本国内さらには世界的なベストセラーになったが、「文明崩壊」の方はベストセラーとまではいっていないようである。

「銃・病原菌・鉄」に比較して「文明崩壊」がそれほど面白く感じられないのはなぜだろう。少し「文明崩壊」の内容を紹介しながら、なぜこの本が「銃・病原菌・鉄」ほど面白く感じられないのかを考えてみよう。

「文明崩壊」ではまず最初にプロローグが設けてあり、そこでこの本の内容の概略が説明してある。そして上に述べたように、主として自然環境が文明の衰退・崩壊の原因となった例をあげ、それをさらに現代に当てはめ現代社会の今後に関する指針を与える事が本書の目的であるという事が述べてある。

さらに文明の衰退・崩壊の原因になりうる要因として以下の5つをあげてある。それらは、(1)環境被害、(2)気候変動、(3)環境問題への社会の対応、(4)近隣の敵対集団、(5)友好的な取引相手、である。

これらのうち最初の3つが環境に関わる要因であるといえる。(1)は環境に人間が与える影響であり、(3)はそれを社会がどのように考えて対応するかということである。その意味で、これらは環境要因とは言いながら、そこに住む人間との関係が重要である事を示している。(2)の気候変動は、長期的な目で見た地球の寒冷化・温暖化や火山噴火などの影響等が含まれる。これは人間による環境破壊と直接関係するわけではないが、環境破壊に悪い方向での気候変化等が重なると、文明に大きな影響がある事を示唆している。

これに対して(4)(5)は、自然環境ではなくて社会環境である。特に環境破壊等に悩まさせている文明が、その近くに友好的な集団を持っているか敵対的な集団を持っているかは、文明の存続や崩壊に大きな影響がある事を示唆している。

この説明は、導入としては簡潔にこの本全体をまとめてあり、読み返してみると本全体の要約になっている事がわかるのであるが、最初にこれを読まされると少々興味がそがれる。私達は論文を読む事を期待しているのではなくて、著者によるストーリー展開を楽しむ事を期待しているのである。最初に結論を述べてしまうと、読者としては何が書いてあるのだろうという内容に対する期待をそがれることになる。どうもこれがこの本が今ひとつ面白くない理由ではあるまいか。

(続く)