シンガポール通信ータイに続きシンガポールで暴動?

現在タイで大規模な反政府運動が起こっている。かっての首相で現在は国外逃亡中のタクシン氏の妹であるインラック氏が率いる政権が、タクシン氏の帰国への道をひらく恩赦法案を下院で強行採決を行なった事から(結局この法案は政府により撤回された)、野党民主党に主導された反タクシン派の民衆がデモ等による大規模な反政府運動を起こしているのである。

政府は、議会を解散し総選挙によって民意を再度問うという対応策により、この情勢を乗り切ろうとしている。しかし反政府側はこの政府側の対応では満足せず、民主党員全員が辞職すると共に、9日には25万人のデモ隊が首相府を取り囲み、インラック首相に政権委譲を求めている。

この一連の状況の推移は、私達日本人には少しわかりにくい。政府が議会を解散し総選挙によって民意を問おうと決めたならば、反政府運動の成果は十分得られたと私達は考えがちである。しかしどうも実情はなかなか複雑のようである。反タクシン派が多いのは都市部であり、地方ではいまだにタクシン派が多数を占めるため、総選挙を行なうと再びタクシン派が勝利し、インラック氏を中心とした現政権が引き続き実権を握る事になるのが確実と言われている。

したがって、反タクシン派はそのような情勢になる事を嫌い、総選挙ではなくてインラック首相に政権を野党に渡すように要求しているというのである。私達日本人は、民主主義というのはその基本が議員を選ぶ総選挙にあると理解しているので、選挙を経ずに政権を委譲せよというのはいかにも虫のいい要求のように聞こえる。

しかしこれは、西欧的な意味での民主主義がすでにしみ込んでいる私達日本人であるからそう思うという考え方も出来る。中国も含めアジアの国々で今起こりつつある事は、西欧的な意味での民主主義を求める動きではないのかもしれない。

それではアジア的な民主主義としてどのようなものを人々が求めているのだろう。これに対する答えは大変難しい。西欧社会が、ソクラテス・ブラトンなどの哲学者に代表されるギリシャ時代から、二千数百年の時間をかけて現在の西欧的民主主義の概念を作り上げて来たのに対し、日本を含めアジアでは民主主義という概念は結局生まれなかった。そして第二次世界大戦後世界中で西欧の民主主義の考え方を取り入れようとしているのが現在の動きであり、いわゆるグローバリゼーションの一つの流れである。

しかし現在のアジアでは、経済的には資本主義を取り入れているにせよ、政治形態としては西欧的な意味での民主主義を取り入れるには至っていない。むしろ中国・シンガポールなどに代表されるアジアでは、それとは異なった民主主義を追求しているようである。タイのインラック首相にしても、議会を解散し民意を問うという行動に出ているのを見ると民主主義の本質を理解しているように見える。しかし他方で、国外に追放されている兄のタクシン氏を恩赦により民意に反して呼び戻そうとする行動は、民主主義に反しているといえる。

という事を考えていると、シンガポールで小規模な暴動が起こったというニュースが飛び込んで来た。8日夜インド人繁華街であるリトル・インディアで、インド国籍の男性労働者がバスにはねられて死亡したのをきっかけに暴動が発生し、インド人労働者が中心となってバスに放火したりパトカーや救急車をひっくり返すなどの騒ぎを起こした。

この暴動は数時間で鎮圧されたが、その意味や影響は大変大きいものがある。というのもシンガポールは極めて治安のしっかりした国であり、政府が人々の反政府的・反社会的な動きを極めて厳しく取り締まっているからである。デモはもとより人々が許可無く集まって集会を開く事も禁じられている。

そのような国で小規模とはいえ暴動というのは最も考えにくい事態であると考えられて来た。テレビの解説によると、シンガポールが独立した当時は時々起こっていたというが、それ以降は全く生じていない事態で、40年ぶりの事件だとの事である。
テレビを見ていると、人々がバスのガラスを破って放火したりパトカーや救急車をひっくり返している映像は、正に暴動そのものである。これもテレビの解説によると、最近特に低賃金の外国人労働者が増え、かれらがシンガポール内部の賃金格差に不満を持っていることが原因と見られているとの事である。

シンガポールは小国であるが故に、経済的な自立が最優先事項であり、そのような政策を実施するためにシンガポール株式会社と時には揶揄されるように政府がトップダウンで人々の行動特に政治的な行動を制限して来た。これは表面上は上手く行っているように見える。しかしその底では他国と同じように人々が感じたり不満を持ったりしており、そして何かのきっかけがあるとこれもまた他国と同様にその不満が噴き出すという事を今回の事件は示してくれた。

今回のタイの反政府運動シンガポールの暴動は、何処の国でも人々がさらなる自由と繁栄を求めている事、そしてその現れ方には世界共通の特徴と同時にアジア的特徴があるという意味でいろいろと考えさせらるところが多かった。