シンガポール通信ー日経ビジネス「会社の寿命」

日経ビジネスが11月4日号で、「会社の寿命」という特集を組んでいる。このタイトルを見ると、かって同じ日経ビジネスが提唱し話題になった「会社の寿命30年説」を思い出させる。当然のことながらこの特集は、会社の寿命30年説を現在において見直した特集記事であると予測され、大いに興味をわきたたせるタイトルである。

「会社の寿命30年説」は、日経ビジネスが1983年のある号で組んだ特集で提唱したものである。これは、売上高・総資産額から企業が繁栄を謳歌している順にランキングし、その上位企業がランキングにどの程度とどまっていられるかを見たものである。そうすると平均して30年で、いずれの企業もランキングから脱落する事が明らかになった。このことから、企業が繁栄を謳歌していられるのはたかだか30年であるということになり、「会社の寿命30年説」が生まれたわけである。

そのような経緯で生まれた「会社の寿命30年説」は、当時かなりの話題を呼んだ。それは日本がバブル期に突入しようとしており、各企業特に大企業がこぞって好業績を謳歌していた時代であり、かつ1979年に出版された「ジャパン・アズ・ナンバーワン」によって、日本の好景気が永遠に続くのではという錯覚を人々が持っていたからである。そのような時代に、繁栄は永遠には続かないたかだか30年であるという説は、人々にある種のショックを与えたのである。

今から思えば、日本人好みの「諸行無常」が企業にも当てはまることを説いたものであり、ごく当然の説であると言っても良いが、先に言ったように日本がバブルに突入しようとしている時期にそれに反する説を提唱したわけで、それが大きな反響を呼んだのである。

さて現在においては、私達はいかに安定に見える大企業も倒産の可能性がある事を身をもって知っている。最近の例でいえば、国内では2010年のJALの倒産があるし、米国では2009年のGMの倒産がある。JALはいわずとしれた航空機業界の日本のフラッグシップであるし、GMは世界最大の自動車企業である。これらの企業が倒産するなどとはかっては想像もできなかったものであるが、変動の激しい現在においてはそれが起こりうるのである。

つまり永遠という文字は企業には当てはまらないということを私達はすでに知っている。その意味で、「会社の寿命30年説」はすでに私達にとっては当然の説となっている。とは言いながら、それを始めて提唱した日経ビジネスの先見性は、評価する必要があるだろう。

さて1983年の「企業の寿命30年説」の提唱から30年経って再び「企業の寿命」という特集を組むからにはそれなりの新しい知見を日経ビジネスが提唱してくれるものと期待してしまう。それは虫がいい要求であるとはわかっているがどうしてもそれを期待してしまいがちなのである。そのような期待の元で読んでみると、残念ながらと言うべきか当然と言うべきか、前回の「企業の寿命30年説」に比較するとインパクトの低い内容になっている。

本特集で最も主張したい点は、現時点で企業の寿命を再測定してみると約18年となり、20年を割り込んでいる事がわかったという点であろう。世の中の動きが激しさを増しているのに呼応して、企業の寿命も大幅に短くなっていることがわかったのであれば、それはそれで大きなニュースであろう。

しかしここには少し仕掛けがある。企業の寿命測定のための評価基準に前回は売上高と総資産を用いたのに対し、今回は時価総額を評価基準として企業のランキングを行ない、寿命を測定しているのである。評価基準が異なれば結果が異なるのは当然である。しかも前回と同様に売上高と総資産をベースとして測定してみると、27年という結果が出ているのである。

30年から27年という変化は、確かに短くはなっていると言えるが、ドラスティックな変化とはいえないだろう。そのために、日経ビジネスとしても企業の寿命が27年に短縮したと、大々的にタイトルでアピールできなかったのではあるまいか。しかしながら特集記事の本文では、「30年から18年と日本企業はこの30年間で急激な短命化が進んだ」と記述してある。こう書かないと訴求度が弱くなるとはわかっているが、このように書かれると、「異なる評価基準で測定しているのだからそれは正しい書き方ではない」と反論したくなる。

このような論理的な不整合感を与えないためか、この文章に続いてすぐさま具体的な例として、半導体モリーDRAMで1980年代後半に世界の80%のシェアを持っていた半導体産業が90年代に入り衰退し、それを挽回するために企業間連携で立ち上げたエルピーダメモリルネサスエレクトロニクスが苦戦している事を記述しているが、やはり論理的訴求力に欠ける気がするのは私だけだろうか。

(続く)