シンガポール通信ー日常感じるシンガポールの後進国性

シンガポールは、インフラの整備や人々の生活水準などの面では欧米の先進国や日本に引けを取らない、いやむしろ部分的にはそれを凌駕するレベルに達している国である。しかしながら実際には、独立以来まだ50年になっていない新しい国である。その意味で、時にその後進国性というかまだ成熟していない面をかいま見る事がある。

その一つで最近シンガポール後進国性を感じたのは、自動販売機である。シンガポールでは現在、コインを新しいコインにとりかえる施策が進められている。新しい1ドルコインはヨーロッパの1ユーロコインに似たなかなかしゃれたデザインなのであるが、困った事にまだ新しいコインに対応していない自動販売機が大変多い。

たかが自動販売機とは言いながら、ジュール等の飲み物を買ったり簡単なスナックを買ったりで自動販売機を使う機会は大変多い。特に週末大学のオフィスに出て仕事をしていると、おなかが減って来てスナックと飲み物の簡単な食事をしたいと思う事が多い。ところがである。もう新しいコインが出回り始めて2、3ヶ月経っているのに、大学内の自動販売機の多くが新しいコインに対応できていないのである。

日本ではこのような事は考えられない。新しいコインや紙幣が出始めると、まず真っ先に各種の自動販売機が新しいコインや紙幣に対応しはじめるのではないだろうか。自動販売機向けのコインや紙幣の選別システムを開発・販売している会社にとってはなによりのビジネスチャンスであろうから、新しいコインや紙幣の識別機能を持ったシステムを自動販売機メーカーに売り込んだり自ら新しい自動販売機を開発するだろう。

このような日本型のかゆい所に手の届くビジネスの進め方に慣れていると、シンガポールで新しいコインを受け入れてくれない自動販売機に出会うと時には怒りが込み上げてくることさえある。そして今更ながらシンガポールはまだ後進国だなという気持ちをもつのである。

他に見るたびにシンガポール後進国性を感じるものとして、トラックの荷台に人を乗せていることがある。シンガポールでは市街地の開発事業が盛んで、あちこちで常に新しいビルの建築が行なわれている。これらの開発事業に携わる労働者を現場に送り迎えするのに、通常はトラックが使われる。そのためトラックの荷台に多くの労働者を乗せているのを、特に朝夕の通勤時間帯に見かける事が多い。

トラックの荷台に人が乗っているのは、かっては日本でも普通に見られた風景である。しかし現在では、トラックの荷台に人を乗せるのは基本的には認められていない。(ただし、積載された荷物の見張りために監督者が荷台に載る事は例外的に認められている。)これは安全上からの配慮である。トラックが事故等にあった場合に荷台に載っている人の安全は、運転席や助手席に乗っている人に比較して数段危険性が高い。このことが日本ではトラックの荷台に人を乗せる事が認められていない理由であろう。

それに対してシンガポールではトラックの荷台に人を乗せる事は法的にも認められている。人々の安全に関しては大変配慮しているシンガポール政府であるが、トラックの荷台に乗っている人の大半が近隣諸国からシンガポールに出稼ぎに来ている労働者であることから、悪い言い方をすればシンガポール市民以外の人々の安全はそれほど気を使っていないということもできる。

そしてこのことが私がシンガポールに来た2008年からまったく改善されていないというのも驚きである。ある種の人種差別でもあり、この点にもシンガポール後進国性が現れていると言って良いかもしれない。

またマナーを守る事にかけては、シンガポール人は大変紳士的であると言って良いであろう。赤信号で歩道を渡ろうとする人はほとんどいないし、また他方の信号が黄色から赤に変わったとしても自分の信号が青に変るまでは渡ろうとしない。日本だと他方の信号が黄色から赤に変れば、自分の信号がまだ青に変わっていなくても渡り始める人が多いのではあるまいか。この点シンガポール人は極めて律儀である。これはマナーがいいからなのだろうか、それともルール違反に対してシンガポールの法律が極めて厳しいからなのだろうか。

もう一つ日本とシンガポールの違いを感じるのは、日本だと電車やバスが混んで来た場合人々が自律的に中の方に移動し、入り口付近に空間を空けようとする事である。これは日本人のマナーの良さを示す良い例として自慢できると思う。かたやシンガポールでは、MRT(地下鉄)で混んで来ても人々は中へ移動しようとせず、入り口付近が大変混雑するが中の方は空いているという光景をよく見る事である。

この事からすると、まだまだ公共の場におけるマナーという意味では、シンガポールは日本よりかなり遅れていると言わざるを得ないのではないか。