シンガポール通信—日経ビジネス「世界のトップ大学」4

それでは次に、教育の面ではどうだろうか。先に書いたように、教育の数値的な評価の面で重要なのは、教員一人当たりの学生数である。この点日本のマンモス私大は、大変不利な状況にあると言えるだろう。その意味で、早稲田大学が学生の数を減らし教員の数を増やそうとしているのは、明らかに早稲田のランキングの順位を上げようとするための戦略で、評価できるだろう。(もっとも大学が企業として存続して行くという意味からすると、これは大変困難なチャレンジである。学生を減らし教員を増やしてどうして大学として存続していけるのだろう。)

それでは関西の立命館同志社関学などの有名私立大学が慶応・早稲田に比較して世界大学ランキングで極めて下位に低迷しているのはなぜだろう。慶応・早稲田がとこかくも世界大学ランキングで200位程度にあるのに比較し(もっともその国内における著名度に比較するとこの位置は低すぎるといえるが)、立命館が650位〜700位、同志社が700位〜800位に低迷しており、関学に至ってはそれにすら含まれていない。

ここには明らかに数値で表現されるもの以外のもの、いわゆる「評判」であり「知名度」が大きく影響しているのは否めないだろう。世界大学ランキングでは、世界中の多くの著名人・著名研究者にアンケートを送り、彼等が個々の大学をどう評価しているかを調査し、それをランキングに反映している。国内でも関東の有名私大に比較して関西の有名私大の評判・知名度は高くない。世界レベルで考えても同様なのだろう。海外から見て知名度の点で日本の有名私立大学というと慶応・早稲田がまず名前があがり、それ以外は「その他大勢」となっているのが現状であろう。

そしてまた知名度・評価が大きく影響しているという事は、一旦定着した知名度を少々の改革で変えることは困難であること、つまり大学のランキングを短期間に向上させる事が困難な事を示している。立命館は、トップダウンの経営、海外からの留学生の招致、産業界との連携などの施策を他の大学に先んじて行い、国内では特に産業界からは慶応・早稲田と同等もしくはそれ以上に極めて高く評価されているのに、国際的な評価がまだまだ低い。これはやはり「知名度」を向上させる事が困難な事を示している。

次に国際化の点から、日本のトップ大学の世界大学ランキングを上げるにはどうすればいいかを考えてみよう。日本の大学がトップ大学も含めて国際化の点で大きく遅れている事は、大学の内外の人を含めだれしも認めている事ではあるまいか。まず海外からの留学生の数が少ない。そして教員に至っては、東大・京大などのトップ大学における外国人教員、特に教授クラスの教員の数はそれこそ数えるほどではないだろうか。NUS・香港大学などのアジアのトップ大学が海外からの著名研究者を教授などで招聘する事に大変熱心なのに比較して、国内の大学で海外の著名研究者を教授としてリクルートする事に成功したという話は聞いた事がない。たかだか海外で活躍してきた日本人研究者が、日本にご恩返しをしたいと考えて日本の大学に戻って来たという話しか聞いた事がないではないか。

そしてその大きな理由は、この特集記事で濱田東大総長が愚痴っているように、「大学教員の給与が世界基準に比較して大変低い」ことにある。だれしも給与の低いところにより好んで行かないだろう。しかも世界レベルの著名研究者となれば、あちらこちらから声がかかるだろうからなおさらであろう。日本の大学教員の給与が低い事は、これまでも国内ではよく知られた事実である。同世代の企業に勤めている人達に比較して2、3割もしくはそれ以上低いのではあるまいか。最近は企業の給与も抑え気味ではあるが、企業から旧国立大学に移ると給与が2/3から時には半分になるという話はよく聞く。

日本国内では、大学教授の給与が低いのはその世間的な名声との引き換えであるという、いわゆる日本独特の平等主義のために、これまでこのことは受け入れられて来た。しかし国際化時代になると、それは通用しないだろう。シンガポールでは、大学教員や政府職員の給与は同年齢で企業に勤める人の上位クラスの給与と同等以上が保証されている。日本でも濱田東大総長が言うように、少なくとも2000万円以上の年収を提示できなければ、海外からの優秀な人材を教授として招聘する事は困難であろう。

これは日本の旧国立大学の構造的な問題であって、個々の大学ががんばってみても何ともしがたい問題である。安倍首相が世界大学ランキングのトップ100に日本の大学を10校以上入れるという目標をかかげるならば、この日本における公務員給与の悪しき平等主義をなんとかする必要があるだろう。その意味で、この特集で日本の大学特に旧国立大学の教員の給与という生臭い点にあまり突っ込んでいないのは残念である。

(続く)