シンガポール通信ー日経ビジネス「世界のトップ大学」3

世界大学ランキングの評価基準の2番目は教育である。ここでは、学生数や教員数つまり大学のサイズが1つの指標となるが、それ以上に重要なのは教員1人当たりの学生数である。これが小さいほど評価が高くなる訳で、この点で日本のマンモス私大は大きなハンディキャップを負う事になる。それでは教育の質はどう評価するのだろうか。これは定量的に評価の難しいところである。したがって、教育の質に関しては多くの有識者に各大学の評価をしてもらって決定する事となる。つまり大学の「評判」が評価にきいてくるのである。

評価基準の3番目は国際化である。ここでは海外からの留学生の数、学生全体に対する比率、また教員に関しても同様に外国人の教員の数、教員全体に対する比率などが重要な指標となる。この点に関しても、国内の大学は海外からの留学生の数を増やそうとしている大学も多いとはいえ、特に教員に関しては外国人教員の数は絶対的に少なく、評価の点で非常に不利な立場にあると言えるだろう。

さてこれを頭に入れた上で、次の疑問である「日本の大学の順位は適切だろうか。世界大学ランキングでの順位を上げるにはどうすればどうすればいいだろうか」を考えてみよう。直感的な言い方をして申し訳ないが、私は日本のトップ大学である東大・京大は世界大学ランキングで少なくとも10位から20位の間にあり、かつトップ10をうかがえる位置にあると思っている。QSの世界大学ランキングではシンガポール国立大学(NUS)はすでに東大・京大より上位にあるが、NUSで個々の教員の研究水準などを見ていると、東大・京大などの教員の研究水準はそれに十分匹敵できるいやそれ以上のレベルにある事は確信できる。NUSの学生に関しても私の意見では、真面目でよく勉強し与えられた問題を解く能力は秀でていても、自ら新しい問題を見つけ出すといういわゆる創造力に関しては、明らかに日本のトップレベルの大学の学生の方が上であると思う。

その意味で日本のトップ大学である東大・京大などは、世界大学ランキングでの順位は過小評価されているといっていい。いや言い換えれば、アジアのトップ大学である香港大学やNUSが少々過大評価されている嫌いがあると言える。それではなぜ東大・京大などの日本のトップ大学が世界大学ランキングで過小評価されているのだろうか。それは先に述べた世界大学ランキングの評価基準を考えると明らかになって来る。

まず研究の面から考えてみよう。先に述べたように、研究面での評価は国際的な論文誌、国際会議への発表論文数と、それらの論文を引用した論文の数が評価の重要なファクターになる。日本の場合幸か不幸か国内にしっかりした学会が存在しており、多くの研究者は国内の学会へ論文を投稿する。最近は国際会議への論文投稿は多くなったとはいえ、海外の論文誌は査読に時間がかかる事から、国内の研究者は海外の論文誌より国内の論文誌に投稿する事を優先しがちである。これは明らかに大学世界ランキングの評価の点からは評価を下げる結果となっている。

これにどう対応すべきだろうか。国内学会を無視して海外の学会に投稿するという方策もある。しかしながら、日本は世界でも珍しく国内にしっかりした学会が構築されており、これが若手の研究者を育てる場として大変有効に働いている。この体制を壊して海外の学会に頼るというのは決して得策ではあるまい。考えられるのは、国内の学会の共通言語を英語化する事である。これはすぐには実現できないかもしれないが、学会は第一級の頭脳を持った研究者の集団である。楽天などの企業が内部の公用語を英語化する事に比較すると、その実現は易しいと考えられる。ぜひとも実現してもらいたい目標である。

さてもう1つは引用文献の数である。これも前に述べたように、引用文献の数を増やすには新しい分野に挑戦するより、現在はやりの分野で行われている研究を行った方が他の人に引用してもらいやすくなるという事実に注目する必要がある。言い方は悪いが、他人の後追い研究の方が引用文献を増やしやすいという事になる。そしてそれはまさにこの特集では「猛追する新興勢力」として位置付けられているアジアの他の国のトップ大学が取っている戦略である。

これらの大学では、欧米の研究を常にウオッチしておき研究が盛んな分野のしかも主流の研究論文を良く分析し、それに改良を加えて論文として投稿するという例が極めて多い。いわゆるインクリメンタル(積み上げ方式、追加方式)の研究というものであるが、このような研究は流行している分野であるだけに注目を浴びやすく、その分論文として論文誌等に採択される可能性が多い。また参考にされたもとの論文の著者からしても、自分の研究を参考にしてくれた論文というのは悪い気がするものではないので、そのような論文を引用することになる。いわゆる引用のしあいであるが、これによって引用数を増やす事が期待できる。

一方でまったく新しい分野の研究というのはまだまだアジアの諸国では認められにくい。たとえば、シンガポールで国の研究費を取るための研究計画を提出しその新規性・必要性を主張しても、「この研究は米国のどの大学でやっているのか」という質問が返ってくるのが普通である。つまり、欧米の最先端研究を追従するのがいい研究と考えられているわけである。これではまったく新しい領域の研究を開始するという事は極めて困難である事は明白である。

かっては、日本の大学における研究がすべてそうであった時代がある。現在でも国内の多くの研究は欧米の先端研究の追従である。しかしながら、自ら新しい研究領域を切り開こうという研究者が増え、そのような研究が多くなって来たのも事実である。これこそが日本の研究がアジアの他の国々の研究に対して一歩先んじている証拠であり、論文の引用数を増やすためにいたずらに欧米の先端研究を追従する研究のみを行なうことは長期的に見て正しい戦略とはいえない。

(続く)