シンガポール通信ー日経ビジネス「世界のトップ大学」2

昨日に引き続き日経ビジネスの特集記事「世界のトップ大学:東大は生き残れるか」について考えてみよう。

記事の7番目の「目指せ、世界基準」は、日本の各地の大学が世界の大学と伍して行くためにそれぞれが行っている独自の取り組みを記述している。読んでみると、それぞれの取り組みはそれなりに評価できるものの、大学毎のバラバラの取り組みであると言う印象を免れない。それはなぜか。これは後でもう一度触れたいと思うが、結局各大学の取り組みが何を目指しているものかが明確でないからではないだろうか。

この特集が世界大学ランキングを中心テーマとしていることから、自分の大学の世界大学ランキングを上げるための取り組みと読む方は思いがちであるが、大学によっては思いはどうもそうではないようである。明確に世界大学ランキングでの位置を上げようとしている事が明らかなのは早稲田大学である。早稲田大学は学部生を減らし、教員を増やす事を目指している。これがランキングを上げるのに有効な事は後で述べよう。

同時に慶応・早稲田という関東における有名私立大学がQSランキングでは200位程度に位置しているのに対し、関西の有名私立大が低位に甘んじているのはなぜだろうという思いもわいて来る。例えば立命館大学は、海外からの留学生受け入れに積極的であったり産業界との連携に積極的である事が国内では高く評価されているのに、世界大学ランキングでは650位と700位の間と慶応・早稲田に大きく引き離されている。この事に関する説明が記事にないのは解せない。このことも後で考えてみよう。

さて最後の8番目の「トップ奪取は可能」は、世界トップの大学で学ぶ日本の学生達の座談会と海外の大学で学ぶ教授や海外の大学を経験した経営者達の意見を載せてある。日本の学生達の座談会は、それはそれで若者らしい意見でいいのであるが、すでに何度も聞いたような意見である。それもそのはず、海外の大学で学ぶ日本の若者による座談会そのものもがもう使い古された試みだからであろう。教授や経営者達の意見も個々の意見はたしかにおっしゃる通りであるが、いずれも何度も聞いたような意見であってどうすればいいのかという具体案に欠ける。西義雄スタンフォード大学教授の意見である大学において「英語公用語化」を実行すべきという案が新鮮に響く程度と言ったら失礼だろうか。

さてそれでは、この特集「世界のトップ大学:東大は生き残れるか」をもっと焦点のあった記事にするにはどうすれば良いのだろうか。そのためには以下のような目標を明確にした記事にすべきだと思われる。

1.世界大学ランキングはどのような基準で決められるのだろうか。
2.日本の大学の順位は正当だろうか。もっと順位を上げるにはどうすれば良いのだろうか。
3.そもそもすべての大学が世界大学ランキングで上位を狙う必要があるだろうか。

もちろん私が、これらの問いに対して日経ビジネスのこの特集記事以上に正しい答えを持っていると主張したいわけではないし、日経ビジネスのこの特集記事の欠点を突いているとは言いながら、この記事から教えられる事も多い。とは言いながらこの記事で述べられていない事も多いと思うので、私自身の経験・知識からこれらの問いに答えてみよう。


1.世界大学ランキングはどのような基準で決められるのだろうか。
これはランキングを発表している組織によっても異なるが、研究、教育、国際化等が大きな評価基準である事は間違いないだろう。

研究は、発表先の論文誌や国際会議の著名度で重み付けされた発表論文の数が大きなファクターである。同時に、発表した論文が他の論文にどの程度引用されたかという引用論文数も大きなファクターである。その場合、日本語の論文誌のランク付けは当然低くなる。という事は、日本人の場合日本語の論文誌に論文を発表する事が多いため、日本の研究者の研究成果は低く評価されやすい事を意味している。

引用数が多い論文とはどのような論文だろう。もちろん新しい分野を作り出した先駆的な論文は引用数が多くなる。しかしそのような論文の数は多くはない。それでは他の人から引用してもらいやすい論文とはなんだろう。それは現在流行している分野で中心的なテーマを扱っている論文である。ということは、新しい分野を切り開こうとしているが成果のなかなか出ない分野の研究は引用数が少なく、他人の後追い的な研究をしている論文の方が引用される事が多い事を意味している。

(続く)