シンガポール通信ーシンガポールビエンナーレ2013(2)

昨日に引き続きシンガポールビエンナーレの作品をいくつか紹介しよう。具象的な作品が多いとはいえ、もちろん中には抽象的な作品もあり、一見何を表現したいのかわからなくて説明を見て始めて納得できる作品もある。



これはフィリピンのアーティストの作品。マネキンをバラバラにした人体の各部が床の上に無造作におかれている。フィリピンの国内や外国との過去の争い、そして現在フィリピンが抱えている多くの問題を表現していると思われる。この作品に限らず、フィリピンからのアートは強い社会的メッセージを表現したものが多い。



これはインドネシアのアーティストの作品。白い平面に無造作に多くの針がさしてある。しかし近づいてみると、個々の針が精密に作られた人体彫刻である事がわかる。異なる人種で構成されている世界を表現しようとしているのだろうか。



これもインドネシアのアーティストの作品。多くのガラス製フラスコが並べられているが、近寄ってみるとインドネシアの伝統芸術である影絵で使うキャラクタが入っている。上の作品と同様に、強いメッセージ性を有するというよりは、自分たちの伝統芸術をベースとして新しいアート表現を探していると理解できる。



これはシンガポールのアーティストの作品。一見してある種の振動を彫刻化したものである事はわかるが、説明を見ると中性子星(パルサー)から発せされる電磁波を何年にもわたって記録したものを彫刻化したものだという。悠久の宇宙の歴史を表現しているのだろうか。しかし抽象彫刻としてみても面白い。



これもシンガポールのアーティストによる作品。小中学生あたりの年齢の少女たちが学校の制服を着てかつドクロのメーキャップをしている。シンガポールでは小学校程度の年齢で将来の進路(大学進学、専門学校進学、就職)を決められてしまう制度になっており、それが最近はかなり問題化しているが、それを表現したものだと解釈できるだろう。とはいいながら、そのような問題をアート作品として表現できるようになったのは、シンガポールの変化を示しているといえる。



これはベトナムのアーティストの作品。私自身一見して気に入ってしまった作品である。二人の若者(多分兄弟だろう)が、ベトナムの大河を背景にゆっくりした動作で何事かを訴えるような表情をしている。上のフィリピンのアーティストの作品と同様に、ベトナムの自然を背景にベトナムの過去の争いの歴史や現在ベトナムが抱えている問題を表現していると考えられる。それをマネキンを使って表現するか人間を使って表現するかは個々のアーティストの好みによるが、私自身はこの若者の表情に惹かれるものを感じた。同時にかって話題になった結合双生児のベトちゃんドクちゃんを思い出した。



これは日本のアート集団チームラボによる作品。四面を鏡張りにした部屋に多くの透明プラスチック版を天井から吊るし、個々のプラスチック版に日本の伝統的な踊りを踊っているキャラクタを投影している。限られた数のキャラクタの踊りが、四面に張ってある鏡によって無限の数のキャラクタが踊っているような効果を与えている。仮想現実(バーチャルリアリティ)として大変良く出来た作品であると同時にアートとしての側面も有している。無限の空間で東洋の伝統的な踊りを踊っている無限大のキャラクタの集団とそれに伴う音楽:東洋的感性の豊かな作品でありアジア人には受けるだろう。欧米人の感想を聞いてみたいものである。