シンガポール通信ーロスト・イン・トランスレーション2

現在これはヒューストンから日本への飛行機の中で書いている。ヒューストンのブラジル領事館の窓口でビザ発行を依頼しても、全く相手にしてもらえなかったので途方に暮れた事を前回書いた。

前日ブラジル行きの飛行機に乗車拒否されて途方に暮れたが、今回もしばらくはどうしていいかわからない状態であった。しばらくしてなんとか気力を取り戻し、次の作戦を考えることとした。その結果、参加しようとしている国際会議の議長であるEsteban Cluaに連絡を取る事を思いついた。彼はサンパウロの大学の教授をしているので、彼に窓口の女性に交渉してもらえれば何とかなるのではと考えた訳である。

すでに国際会議が始まっている事もあって、電話で彼がなかなか捕まらない。何度もかけ直して20分ほどしてやっと捕まえる事が出来、状況を説明した。彼の方も大変驚き、窓口の女性の担当者に状況を説明するので電話を渡してくれという。ここでもくだんの女性担当者は、怪しいと思ったのかなかなか私の携帯電話を取ろうとしなかったが、ブラジルの大学の教授からの電話であるというと渋々受け取ってくれた。

聞いていると女性の方は大声でなにやらどなっている。どうもあまりよろしくないような雲行きである。10分ほど大声で話した後、くだんの女性が私に携帯電話を突っ返すように差し出した。恐る恐るEsteban Cluaに状況を聞いてみたが、彼もその女性が私にした説明を彼に繰り返すのみでまったく相手にしてくれないと恐縮するばかりである。大学の先生の肩書きもあまり効かないようである。

Esteban Cluaと相談した結果、彼がサンパウロのブラジル大使館にかけあってなんとかできないか聞いてみるということになった。1時間ほど待ってくれという事である。しかたがないので、領事館で1時間ほど待つ事とした。私としてはこの段階でもサンパウロの大学の教授がブラジル大使館(つまりブラジル外務省)に掛け合ってくれれば何とかなるのではと期待していた。しかしながら1時間ほどしてのEsteban Cluaからの電話では、いろいろ状況を説明したのだが、先方が役所的な対応で何ともならないとの事である。Esteban Clua自身もなんとかなると考えていたようで、私に対して恐縮するばかりであった。

日本の役所も紋切り型の対応しかしない場合が多いが、最近は状況はかなり改善されて来ており、ある程度柔軟に対応してくれるようになって来ている。それに対してブラジルのお役所はいまだ紋切り型の対応しかしてくれないようである。猛烈に腹が立ったが、結局はビザが必要であるという事実を知らなかった私が悪い訳であり、どうするわけにもいかない。

事ここに至っては、決断するしかない。Esteban Cluaには、ブラジル行きをあきらめて今から日本に帰国することと、申し訳ないが今回の国際会議は参加できない旨を告げ、彼も了解してくれた。

ある意味でやるべき事が明確になれば、行動するエネルギーがわいてくるものである。さきほどまではどうなる事かと不安で仕方がなかったが、ブラジル行きをあきらめる決断してしまうと、ある意味気持ちとしてはすっきりする事が出来た。そして旅程のスケジュール変更をどのように行うかを考えるという前向きの姿勢に変わる事が出来た。

領事館から空港へのタクシーを予約しタクシーを待っている間に、領事館入り口の女性と雑談したのであるが、彼女によるとビザ担当の女性スタッフは頑固で融通が利かない事で領事館内では有名であり、取り扱いに手を焼いているとの事である。ビザ取得希望者の利便を図るのが彼女の仕事なのに、規則を振りかざすのみで相手の立場を全く考慮に入れない女性だとの事である。

そのような担当者は配置換えをするかクビにすべきと思うが、同時に日本もかってはそうだったのだろうという思いも浮かんで来た。日本の役所が変わって来たのであって、ブラジルのお役所はまだまだ昔の日本のような規則一点張りで柔軟性に欠ける対応しか出来ないのであろう。

空港に戻ってUAの窓口に行き、旅行のスケジュールの変更を依頼した。ところが今回の旅行はマイレッジを使っているので、マイレッジの取り扱いは専門のマイレッジセンターがあるのでそちらに連絡してくれとの事である。ここでもまた対応してくれないのではと不安になったが、マイレッジセンターに電話した所電話に出た女性スタッフが親切に対応してくれ、ブラジルへのフライトのキャンセルと、ヒューストンから成田へのフライトの予約を時間はかかったが行ってくれた。

ブラジル領事館での対応とは対照的である。いわゆる一般人対象のお役所仕事と、私たちをお客として扱う対応の違いを今回は痛いほど実感した。そして再び強調するが、日本でもこれは数十年前まではごく当たり前の現象だったのである。その意味では日本のお役所は対応が大変良くなったと言っていいであろう。

もっともヒューストンから日本へのその日の便は既に出てしまっていたので、さらにもう一日ヒューストンのホテルに宿泊する事になった。もう宿泊費やタクシー代でかなり使ったので、今回は出来るだけ安いホテルという事で、空港近くのホテルに宿泊した。いわゆる昔ながらのモーテル形式のホテルであるが、朝食・夕食を含めて100ドル少しと大変安い。

もっともなにも無い所にぽつんと建っているホテルなので、その日一日は外出もせず、ホテルの部屋でメールのチェックをして過ごした。国際会議出席を直前で取りやめるとなると、状況を説明して連絡しなければならない先がそれほど山ほど出て来る。まあたまっているメールのチェックにはいい機会であったと自らを慰めながら今回の旅行の最終日を過ごした訳である。